「結構な降雨」と京都の息子より連絡がありました。
そろそろ戻ってくると言っていますがこれからお盆期間の当地の天気は良くなさそう。
一昨日の台風が去ったばかりの天気が今年一番でしょうね。
快晴にギラギラ太陽の勢いというものを感じました。
私は既報の通りほとんど毎日のようにカレー食を取り入れていますが、お日様の下に出るとこれまでとは違って大汗をかくようになりました。
以前は顔から汗が出て下に落ちるなどということはありませんでしたがこれは新陳代謝が良くなったということらしいです。
無謀とは言われるかもしれませんが、「試しに・・・」ということで私はカレー食以外にも食品の「ターメリック」粉末を常備して傷口に塗り、あるいは「風邪をひきそう」と思った先日は喉に直接ふりかけたりしていました。
ターメリックの効能(抗炎症 抗酸化作用)について断定はできませんが私の傷の治癒も早かったようですし、風邪をひくことはありませんでした。
今後も継続して体感してみようと思っています。
「神慮」(くじ)好きで「くじ将軍」(こちらも)と呼ばれ恐怖政治を執った挙句、嘉吉の乱で謀殺されてしまった足利幕府六代将軍足利義教。
彼は元々は天台の青蓮院に入って(そもそもはその末寺が最初?)早々に門跡に至っています。将軍の子弟ですから僧籍に入っても出世は早いものです。
ちなみに青蓮院といえば当流開祖の親鸞さんのスタートと同じですね。
先だって足利家支流である今川家の「玄広恵探と栴岳承芳」について記しましたが二人とも出家僧籍の身。
惣領逝去による後継者争いに名乗りをあげた(還俗)というワケですが、本来ならば「出家=相続放棄」のことですね。
または「九族皆殺し 族誅」にあたったとしても僧籍にある者は往々に目こぼしされることがあったのは「出家」先の寺に「安全地帯」の意味合いがあったからでしょう。
寺にあるということは「武門」の手出しは無用なのです。
信長はその習慣をぶち壊して寺々に火をかけたのですが、当時の武家慣例としては惣領、家督相続者が決まっている(まずは長子)場合そのあとの兄弟は後の余計な禍根を生まないよう生まれて間もなく出家させるものだったのです。
しかしながらこの世の流れは「無常」。
将軍はじめ家督を継承した者が若くして亡くなることもままあります。よってその時に限ってスペアの如くこの世に呼び戻されるというワケです。
一旦は世を捨て仏門の不殺生界に生まれた者が都合よく血なまぐさい乱世に舞い戻るというのですから、仏門の大層な戒律などいうものも結構イイ加減ですね。
ということで寺に入る意味を考えると・・・
①禍根を残す前に世を捨てる②家督を取った者に対する恭順の証(敵対勢力に成り得ない)③もしもの時の「家」のスペア
が挙げられますが、名目的なそのならいの基本理念というものが古くからあります。
それが標記
「一人(いちにん)出家すれば 九族天に生まる」で
またそれに似た言い回しを見ることがあります(「一子出家すれば 七世の父母 皆得脱す」・・・・)。
昨日の「族誅」の正反対の語ですが、当人が独り仏門に入れば彼の眷属、九族が(天人の住まう)極楽転生間違いなしという言葉です。
ということで武門であって殺生を避けられない身であったとしても近い縁者が仏門に入れば「オールOK」となる風潮もあったということです。
法然さんのお父さんの件もありました。
きっとその時その語が彼、漆間時国の脳裏をよぎったのかも知れません。
美濃の斎藤道三は義龍へ家督を譲ったのち、長良川で義龍に討たれますがその最後の言葉としてそれを語ったといわれています。
道三が果たしてそれをホントに言ったのかは別として(すでに僧籍にあったはず)若き息子に武門を選ばず寺へ入ることを念押ししたというエピソードです。
画像は寺町通りの十念寺。
こちら(こちらの地図も参考)元の誓願寺にあった塔頭で足利義教が建てたといいます。そして江戸期の石塔が多い中、足利義教の墓といわれる五輪塔があります。最後の画像2点。
浄土宗のお寺ですので「倶会一処」の墓標が近くに見られますが他所にも彼の墓はあります。
③の五輪塔はツタが絡まって異様な雰囲気。かわいそう。
京都の中心地、御所に近いということもあり皇室系から商人まで色々な墓石が点在しています。
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