観光だけじゃない 知恩院(先求院) 酒井忠次の墓

おいおい「この番組見てるのかよ」と思ったのがNHK「GEO JAPAN」。

誰が?と言えば数日前に発表がありましたね。

「核のごみ処分場に『好ましい特性』がある場所が国土の3割に上ったので手を挙げてくださいね」というヤツですが、それをのうのうと発表したお役人の方々(経産省)です。

 

そもそも「ハイ、安心なのですね、わかりました。では見返りの方はバッチリお願いしますよ・・」などという自治体が果たしてあるものなのか不思議ではありました。

ところがあの番組を見ていたら3つのプレートが重なり合ってせめぎ合うという「世界的に見て稀なる奇跡」の上にある日本列島はまさに地殻変動の連続。その結果「今がある」ということを「これでもか」という具合の番組構成でしたからね。

 

大きな地殻変動によって日本列島ができたのは約300万年前といいますが、たとえ次にあのような地殻変動が起こるのが「300万年後」と推測したとしても、土の中深くに埋めた核廃棄物が地表に出てきた時「責任は負わなくてもイイ」ということにはならないと思います。

よくもまぁ未来に向かって負の遺産(ツケ)を残すという愚が思いつくか不思議でなりません。

この国土の何を基準に「好ましい特性」なのか詳しく聞いてみたいものです。

「世界で稀なる」地殻変動(地震)の国ですからね。

 

「好ましくない」基準として石油・天然ガス層がある点があるようでしたが、なるほど当相良地区に限っては「好ましくない」とあったよう。

この辺りは太平洋岸で唯一の油田がありましたからね。

そのことがどう「好ましくない」のかもよくわかりませんが。まぁ「テキトーな事を言ってやがる」と思うばかりです。

 

これを作ったお役人はまずは核廃棄物処理場建設スタートと心得ているのでしょう(廃棄物の行先が決まれば大手を振って原発を稼働させて増やせるという発想)。

人口減少で観光産業もロクに無く、破たんしそうな自治体が手を挙げてくるのを待つという作戦ですね。

 

さて昨日更新された小和田先生のブログタイトルが「酒井忠次のお墓参り」でした。

知恩院といえば立地的に大谷祖廟直近にある名所です。

バスツアーで祖廟に赴いた際は「その辺りで時間を潰していてください・・・」などと言い残して私は納骨されるご家族と祖廟本堂に上がってしまいますが。

 

意外とは思われるかもしれませんが、知恩院の奥、東山の麓の傾斜地には夥しいほどの墓地があります。相当奥まった場所ですからそこまで行きつかない方が多いのです。

丁度先般記した青龍殿の下方になりますがそちらの森の中に酒井忠次ご夫婦が仲良く並んでいます。

墓域はしっかり柵で囲まれていますのであの辺りをブラつけばスグに判別できます。

 

まぁ石塔の大きさもそうですが、宝塔+五輪塔の大小並んだ様子を見て「ただものではない」と思わない人はいないでしょう。

酒井忠次とその妻碓井姫のものですが、石塔としての古さはそれほどではないものの(没年 慶長元年  1596)彼のメジャーさ加減といえば・・・巷で囃される「徳川四天王」の一人ですからね。

家康幼少の今川時代から付き従って、苦楽を共にした人ではありましたが、信康事件を晩年まで引きずっていたというのが通説です。

 

ちなみに「宝塔」の時代の古さ、美術的に一級品と言われるものが近江の懸所宝塔です。鎌倉期ですね。

バランスと行き届いた繊細な彫りのすばらしさでしょうか。

 

お二人の墓はこちら知恩院裏手の山にありますが、実は知恩院塔頭の「先求院」の管理となります。

先求院は知恩院三門の前の通を北に向かって右手に崇泰院を過ぎて左に曲がったあたりにあります。

小和田先生のブログによればこちらには酒井忠次の画像やお二人の位牌があるとのこと。

 

画像⑤⑥は忠次の法名「先求院天誉高月縁心居士」。

先求院という寺が彼に関わる寺であることが分かります。

知恩院は決して時間潰しに参る寺ではありません。

ゆっくり墓場をうろつけば新しい発見があるというもの。

しつこいようですが夏場は「厳しい場所」ではあります。

 

最後の画像は拙寺のクマゼミ。

一所懸命を見習わなくては。

彼らの夏(生涯)はあと1か月。1個体はもっと短い・・・