世の流れは瞬く間、まったく「あっという間」と感じることは皆さまも御承知の通り。
私も毎度毎度のワンフレーズでその手の語をいろいろな場で並べています。
仏教というものは一言で「無常」(常が無いことが常)ですから、それでイイといえばイイのでしょうが・・・。
これもまた同様に「諦観」という語で落ち着くというもです。
この期に及んでその無常連発の世界に抗おうなどというのは無意味、せいぜい拙寺の「カレーを喰え」のキャンペーン(「加齢を・・・」)の如く、うまく行ったら健康くらいは維持したいと遊び半分で試している程度です。
ただしその「無常感」は自身というものを見つめるに仏から与えられた最高のテーマだと思います。
歴史の世界も変わっています。
誰もが知っている「応仁の乱」の呼び方は大概が「応仁・文明の乱」と変わって(まだまだ「応仁の乱」で通用)、なぜかまたその戦乱が着目を浴びているとのこと。
昨晩はNHK-BSの「応仁の乱」を「ながら視聴」しました。
番組でも胸を張るかの如く、いわゆるチャレンジ的試行だったでしょう。
この応仁の乱を限られた時間内でまとめるというか視聴者に少しでも理解してもらうに至ることは実際、至難であって今だかつてそこまで突っ込んだ解説をした番組は無かったと思います。
「東西に分かれての両陣営」という国家大戦乱を表す語のハシリのような庶民無視の争いごとで、以後の戦国時代(下剋上)のスタートなどいうターニングポイント的評価もあるのですが何せ登場人物多数(特に同族で対峙)のうえ付いたり離れたりで「ワケわからん」状態が長丁場、将軍義政など終始イイ加減な差配で煮え切らず、イライラ感が増すばかりでした。
今、「応仁・文明の乱」のブームが来ているようで、各書物が出回り出しました。
時間がある方はまず、NHK大河「花の乱」から入るのが手っ取り早いと思います。全37話、ビデオ屋さんへ。
来週のこの番組は「山崎の合戦」ですね。
画像はブログでも何度か登場している「花の乱」のメイン会場「花の御所」址の碑がある大聖寺(場所はこちら)。
実際は今の烏丸通を超えて同志社大学まであったそう。
その同志社大学の東隣が相国寺(後水尾天皇髪歯塚、若冲墓)ですから、花の御所の鼻先で応仁の乱最大の戦いといわれている「相国寺の戦い」があったということです。寺は三日三晩焼け続けたと。
花の御所の概略は京都市から。
画像①が門内の花の御所の碑。②③が交差点より。
最後の画像は別物。
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