前日の天気予報は「相当暑くなる」とのことでしたがズバリ大当たり。今の世の中「ハズレとウソ」ばかり見ていますので感心したところです。
昨日は全国的に猛暑日になったとのことで夜のニュースでは638人が熱中症で病院に運ばれ、数名の方が亡くなったと。
信じられないようなその数字でした。
私は沖縄の炎天下での仕事経験がありますが、「暑い」という環境にいることは嫌いではありません。
ただ年甲斐もなく海に行って黒くなることは「控えるべき」という発想が芽生えたのと昨夏腕に残ったシミから年齢を重ねたという実感を得たことからこのような絶好の晴天にあっても境内雑用に励んでいます。
シミとは日焼けが回復する場所と日焼けした部分が残って斑になることです。まぁ1年を経て今年の草刈による日焼けによってかなり同化してきているようですが・・・。
「歳はとりたくない」というのと「まだまだ若い」というのが私の希望と希薄な存在感ですが、こちらはどちらの方であってもだいたいそんな程度ではないかと思います。
この思考はある面大事なことで、「リタイヤ」と「できない」人生ではもはや「余生」の諦観、それはそれは捨ててはイケナイ思想です。しかし・・・やはり何せ「体力と耐力」というものが「劣化」していることを自覚しなくてはなりませんね。
ということでこの一週間は庫裏二部屋目のフローリング作業に取り掛かっていますが、部屋は殆どサウナ状態。
庭に出て材を切っては床に貼り付ける作業の繰り返しです。
分かったことは「昔はこんなに汗はかかなかった」という点。
恐ろしいほど汗だくになりましたが、無駄とも思うほど水分をあおりました。水分摂取も「ダメ」(スポーツ根性論の闊歩)という時代を過ごしていますのでそれをしなくてもどうということはないような気もしないではではありませんが、「熱中症」という病気に隠れている血管系の突然変異(血液ドロドロによる)をケアしなくてはなりませんから。
さて、再び小田原居神神社。
私の住まいの近隣というか遊び場にそれほど古くて価値ありげな石仏があることなど思いもしませんでした。
よってこちらにそれら石仏群があることを知ったのは私が小田原を去って横浜に転居した後の事でした。
こちらには先日の神社掲示板に記されていた通り、自然石を使った板碑、塔婆やら石仏が暗くて鬱蒼とした森の中にある社殿脇に並んでいます。
それらの中で史料的に価値があるというかハッキリとその意図と年代が判明している点で優位な石塔婆があります。
時代は文保元年(1317)ですから鎌倉期。
例によって川勝政太郎氏の目立ては・・・
「念仏衆らによる毎月二十四日の仏事」と。この地区の念仏とは阿弥陀が前面にでてこなかった?ということが分かります。
氏はこれは「天台浄土教」の流れと断じています。
この碑に大きく薬研彫された「金剛界大日如来」の種子字「वं」(バン)に法華経方便品の偈・・・以下4行
「十方仏土中 唯有一乗法 無二亦無三 除仏方便説」から
地蔵菩薩の縁日(上記「二十四日の仏事」から)と極楽浄土信仰のカタチは天台系というものです。
このような念仏「講」が一向宗遊行僧によってさらに拡大し、一部浄土真宗へと収斂していったのでしょう。
ちなみに真宗の現在の墓碑に「梵字」の使用はありません。
好みで使用される方もいらっしゃいますが、私の代では強く御辞退いただいております。感ずるところ「真言系密教」が繋がってしまいますし、阿弥陀専修念仏の当流の一義は易行道他力、要はわかりやすさにあります。
ただし阿弥陀如来を表す種子字「ह्रीः」があります。
画像③右がそうだと思いますが時に五輪塔の「地輪」等の西方に記されています。
石碑の上記四行の下には
「右志者 毎月廿四日一衆等 衆子等 念仏衆等 利益他
敬白 文保元年 十二月二十四日」です。
現在のその上記の日は地蔵菩薩信仰ではなく「ケーキを食べる日」に成り果てています。尚掲示板の月日(二月)は間違いでしょう。
おそらく開発にともなって各出土したものがこちらに持ち込まれていったものだと思いますが、私の好みは線刻五輪塔。それにしても変わり種石塔が多い場所ですね。
最後の石碑画像は国道1号を渡ったところにありますが、バックに母方菩提寺光円寺と居神神社をいれました。
古地図には石仏脇の空堀と土塁が記されています。
戦国期城址と墓場放浪ができる場所になりますね。
ただし夏は蚊の餌食。
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