人というものの物事の捉え方、感じ方はそれぞれであって「違っていること」の当たり前は日々感じているところ。
そこに「誤解」というものが生じれば、摩擦が発生して時に重大な事案へと発展したりしています。
そういった「感覚の差」から始まって、人種・宗教・国・貧富・イデオロギー等の「差」によって発生した「分別思考」が今世界中を駆け巡っているように感じます。
そのような風潮の中突然出現した米国の大統領の奇異が拍車をかけているようにも。
まぁ色々あってイイという許容は必要ですね。
「許さない」(その語彙はみなさん最近得意!)と言わずに何とか「一所」に考える方向性はどちらにおいてでも残しておいて欲しいところです。
そんな中「良かったな」と思えたのが「核兵器禁止条約」が国連交渉会議で採択されたこと。
しかしながらこの条約に日本が参加しないというのは上記米国大統領の件以上の「奇異」。こればかりは海外からは日本人のお頭の具合はいったいどうなっているのか疑われても致し方ないですね。
世界で2発核爆弾を喰らっている国が、その存在について同盟国の顔色を窺うなんて・・・「バカみたい」な話のような。
そのように各事案にその感じる「温度差」というものがあるワケですね。
「誤解」といえば昨日記した「三帰依文」の帰依し敬うべきは仏法僧の件、「知らない人」がそれを聞けば誤解されて「冷や冷や気分」と記しましたが、ここは「僧」をそのままスンナリよめば「僧侶」であってサンガー修行者一同・・・「みなさん」の解釈はまずないところ。大抵の方々はそんな部分まで知り得ないところです。
よって「知らない人」と記しましたがある意味この「僧」に関してのあれこれは「知らなくて当然」なのですね。
よって「知らないから誤解」するワケで、逆にいえば「誤解」する人は「モノを知らない」の御説に等しいのです。
先日はその御説を連呼した人がいましたね。
防衛省のお大臣女史です。
あのスジの方々は時としてその語をやたらと吐く事は承知していますが、あの時は何と35回と。
35回「お前らモノを知らない」と言われているようで見ていてやはり「気イわるい」。
「防衛省、自衛隊、防衛大臣としてお願いしたい」と言ったことに各法令違反を指摘されて「防衛省、自衛隊、防衛大臣としてお願いしたという意図はない」と「誤解×35回」を発した会見でした。
禅問答チックで私には理解不能。
別報道でも聞きかじりましたがあの方は「も 一回やりたい」と仰ったとか。つぎは外務大臣が御所望とのこと。
やっぱり私が相当のバカだったということで納得させていただきました。
昨日は某ホールにて。
日ごろTシャツかポロシャツ1枚の生活をしている私ですがその日はいわゆる「最上級に近い」衣替えをしなければならない日でした。
まぁ「和装で着込む」ということですが、この異常な陽気と湿度の中でのその時間は「まさに修行」の感覚ではあります。
毎度この時期のことといえばそうなのでして、今更その状況を人さまにこぼすことはありませんが、ホールの担当者が気を利かしてくれて、少々申し訳ない気持ちでした。
担当者は申し訳なさそうに「25℃に設定させてください」と私に声を掛けてきたことからその私のいないところでの「温度差」を知ることができました。
皆さんは「寒い」とのクレームを出されて常設ブランケットが飛び交っていたようです。
私のハンカチで汗を拭いながらのお勤めへの心遣いだったのでしょう、目いっぱい空調温度を低めに設定してくれていたよう。
そういえば上半身は暑いとは思うものの(それは当たり前、上半身に着込みますので)足元はやたら「冷えるなぁ」と感じていました。
緊張感を維持しつつ長時間腹から声を出し続けるという(これはもはやスポーツに近い!!)有酸素運動の雰囲気もあるこの様子を見ての配慮は実は大多数の参拝者にとって真逆の忍耐が必要だったワケで・・・。
この件、多数の主張ですからここは常識的に考えて私は引くところ(先方が配慮してくれたのですが)。私はニコリと笑って「温度高めで可」とご一同を凍えさせてしまっことに謝りました。
ついつい坊さんはこういう場合「誤解」して結果「傲慢」に陥りがちになりますが、あくまでも(導師とはいえども)「主役」は「みなさん」ですからね。
画像①は先日記した自作フローリング完成図。
この部屋は広め(8畳)で少々面倒でした。あと3部屋、4.5畳、6畳そして掘り炬燵のある6畳が残っています。
1階は断熱材を入れますので経費が嵩みます。畳をあげてみて床下がまともであればスンナリいきますが・・・。
②~④は毎年恒例の月下美人。今年2度目ですが、彼女の美しさは絶世といえましょう。
何がスゴイか・・・
花の白さと美しさ、その「華麗」は申し分無いですが、芳香がスゴイ。よって今晩あたり・・・と思ったら玄関内に移動させておきます。
挿し木がカンタンにできますので何鉢かありますが、不思議なのは開花が同時かそれに近くそれが神秘的です。
下手をすれば玄関に入れ忘れたものが翌朝萎んでいる姿を晒していますが、その姿に「何て謙虚な花なのだ」といつもいつも思わされます。
誰にも知られず暗い中で咲いて、明るくなった途端にその美しさを隠してしまいます。そして「なんてこんなに見すぼらしい葉から咲くの?」というくらい放置状態の株。「まさか」を思いますね。そういう彼女のありさまは人も見習うべきところがありましょう。「見られていないところで美しい」
こちらも株分け可能。お声かけください。
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