当初は御前崎通過予報の出ていた台風は南の海にかなり外れて相良地区は少々の雨で済みました。
それにしても九州地方の居座る停滞前線の豪雨は酷いですね。
一点集中の弱り目に祟り目の如くで、早い天候回復を願います。
梅雨前線ともいいましょうがこれは太平洋高気圧とシベリア産の高気圧の谷間がその位置ということになります。両高気圧の張り出し具合(強弱)によって居場所が違ってきますね。
「夏=太平洋高気圧の優勢」ですからあともう少しの辛抱でしょう。
一気に前線を押し上げて早いところ日本列島から遠ざけて欲しいものです。雨が止まなくては被害状況さえつかめませんし・・・。
何しろこうやって私が穏やかに今居られることこそ(先日来流行の気配のあった)「僥倖」といってもいいのかもしれません。
さて、先日は親鸞さんの言葉、「慶哉~樹心弘誓佛地 流情難思法海」を記しました。
「樹心」の「樹てる」と「流情」の「流す」の使用は絶妙です。そして「樹てる」所は「佛地」であり「流す」所は「法海」との対比もまた見事だと思います。
九州地方の河川の激流を見て思います。
川に架かる橋の橋脚が溢れんばかりの水量に姿を消して今にも橋そのものが水に浸かりそうな様相。橋を通過する車に危うさを感じる画像でした。
現在の橋といえば鉄筋コンクリート製でベースもしっかりと川底に固定されているようですから滅多なことでは橋脚が流されるようなことはないとは思いますが・・・
そのような工法が確立していない一昔前といえば、人々は橋に関しては一工夫を施したものですね。
「沈下橋」の類でハナから河川の氾濫、増水に対して抗わないというものです。橋脚を高くせずにわざと増水時に潜るようにして作る橋ですね。
低コストで(流されても)「また作ればイイ」程度の橋にするという意図がありますが、別にしっかりとした目的もあります。
沈下橋は欄干手すりなどの今でいう落下防止の安全のための配慮はありませんが、これは流木類の引っかかりと滞留を避ける意味があります。
そもそも川の流れに身を沈めるということは水の抵抗を和らげることを期待してのことですがこれは漂流物の「引っかかり」を回避したいという意図そのものでしょう。
脳いっ血等血管を詰まらせる要因は最初の何かのちっぽけなつまりがその病を誘引しますね。それと同様で川の流れのコントロールというものはとにかく止めずに流れてもらうことが第一義。「流れにまかせる」という語がありますがまさにポイントはそこなのです。
よってその身を完沈させることによってたとえ水草1本であっても引っかかる余地を残さないようにした昔の人の知恵でした。そのことによって低コストではあるものの無事であることの果実を期待できたのです。
各地にこのタイプの橋が残っていることからかなりの効果があったことが想像できます。
昔はダム整備など皆無、すべての水の流れが川に集まった時代ですから。
昨日は柿本城の本丸付近に造作された「柵」の画像を記しました。この文字「柵」の読みは「さく」というのが一般的。
そして「しがらみ」の読みも。
「しがらみ」といえば昨今使用される例といえばいわゆるアレ。人が社会に出れば背負っていかなければいけないといわれる複雑な人間関係のこと。
しかし本来の「柵-しがらみ」の役割は橋の上流側にたてる杭や柱のことでしょう。要は柵状(さくじょう)に構造物をたててそちらに漂流物を絡ませて下流にある橋脚を守るものです。
私が気になるところとしては溜まりきった漂流物が堰を切るように流れ出した際はかなりのパワーに増幅されるような・・・かえって橋を壊すような気がして。
心の「柵」もそうですがやはり「断てる」ものでも「建てる」ものでもないですね。やっぱり「流しちまう」のが一番・・・
画像は先日の柿本城転じて(まったく関係ありません)万葉集、柿本人麻呂の歌碑。
「明日香川 しがらみ渡し 塞かませば
流るる水も のどにかあるまし」
(人の逝去にあたり)今味わうこの無常の流れの激しさはしがらみを渡してその流れを塞ぐことができれば穏やかになれる・・・
明日香川は藤原京から甘樫の丘④を回り込む河川のこと。
歌碑は「今井まちなみ交流センター華甍」という史料館脇の緑地帯のものです(場所はこちら)。
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