心を弘誓の仏地に樹て 情を難思の法海に流す 句仏

昨日のテレビ小僧は悩みましたね。ゴールデンタイムです。

朝から続く将棋のつづき、NHKニュースに大河ドラマに都議会議員選挙、そして「ナスD」でした。

午後からのお勤めがありましたが、強烈な湿度と気温によって久し振りに大汗をかきました。

「法事ってこんなん体力勝負?」と思いつつ一息ついてから境内のお気に入りの鉢モノ植物たちに水やりをして夕刻からのテレビ視聴のため、英気を養うべく・・昼寝。

 

私はBS大河を録画して、民放の演出・脚色っぽくない、体を張った彼の番組を見てしまいました。アマゾン紀行のバラエティですが普段は深夜放送なのにあの時間帯に局はぶつけてきたのでした。

 

選挙の方は土曜日の秋葉原演説の様を見て「勝負あった」感がありましたので・・・結果は予想通りでしたね。

まさに「歴史は繰り返す」です。

早々に敗戦の弁が聞こえてきましたがこの期に及んで「わかっちゃいねぇなぁ」の感じがしないでもありません。

 

さて、「樹心弘誓佛地 流情難思法海」。

「 心を弘誓の仏地に樹て 情を難思の法海に流す 」

は先日記した句仏さんの書「勿体なや~」(こちらも)の右肩にさらっと記されていた言葉です(画像①②)。

カンタンに記せば

「大地にしっかりと心(仏心)の根っこを張りなさい 

    流されちゃダメ(流しちまうのは諸所の雑念)

        そして法の海に身を投じてまかせましょう

の如くでしょうか。

勿論開祖親鸞聖人の言葉(浄土文類聚鈔)ですが、どうやらこの言葉は元ネタがあってそれが玄奘三蔵の「大唐西域記」からだとのこと。いい言葉はイタダキ。それもヨシですね。

昨日は海の法要で雨に祟られなかったことを私は「喜ばしきかな」と軽々とそんな言葉を記しましたが上記の「樹心弘誓佛地」の冒頭には「慶ばしきかな」とあるのです。

御開祖は標記の語をそのように感動していたのでした。

 

そして元の語は

「心を仏地に樹て、情を法海に流す」だったそうですが、親鸞さんは「弘誓の」と「難思の」の追加脚色(阿弥陀の働き)を加えたようです。

 

私事、心を建てる場所が違うか、根が張っていないフラフラ、流されてばかりの身であったこと、此処でも反省させられます。

まあ都議会選挙を考えると、多くの政治屋さん世界で根を張り巡らせることといえば・・・「カネと地位名誉そしてお友達」というところが一番(ファースト)であったことが市民には「見えた」のでしょうね。

 

③④は近所の調整池。こちらは以前「むら池」と呼ばれる沼がありましたが今は埋め立てられています。いわくつきの地でしたが私は中高時代は鮒釣りの場。調整池といっても生活排水が流れ込んで環境は劣悪ですがここにカモが抱卵してコガモをかえしています。

 

画像は2家族めの親子の図ですが先発家族はすでに出立済み。

飛び立ったのではなく必死のチャレンジで地上に上がってから「歩き」で親が連れて行ったとのこと。

この先に池などありませんからそれは不思議です。

きっと大昔からこの池にいたカモの子孫が引き継いでいるのかと考えると人は惨い事をするものと思うばかりです。

 

ヤマモモの図はこの地区でも比較的大粒が実る木が近くにありますが、まず見向きもされません。

境内はアジサイが調子ついて咲き誇っていますが、この時期は私は春先に次いで絶不調な時期です。

梅雨だけは早く終わって欲しいとおもう今日この頃。