7月1日は恒例の「海開き」。
相良の海の家にて仏事神事のミニ法要がありました。
今年は拙寺が幹事(導師)のお役を戴いていますので仏壇のセットアップのために30分以上前から「海で」あたふたしていました。
喜ばしきかな、世の中は豪雨被災の報が入っていますがこの日は雨は一粒も降りませんでした。その前の日は静波地区でのイベントがありましたが、あちらの方は雨でしたから。
地元テレビ局は「残念ながら・・・」(園児の初泳ぎが中止)と報じていましたが今年の相良ビーチにはテレビクルーは来ていませんでしたし初泳ぎの企画もありませんでした。
東京オリンピックの盛り上がりに便乗して「そうだ静岡に行こう!」というキャンペーン企画を耳にしましたが2年後の2019年は田沼意次生誕300年。
ということでその時期に合わせた「出し物を探している」というのが牧之原市。勿論「歴史」にスポットをあてたいということですね。
お寺には古いモノがたくさんあるからひと肌脱いでほしいというところです。
「今まで出ていない秘密のお宝」という要望をいただきましたが少々ハードルが高そう。
これから「これぞ」という「江戸中期」以降の目玉に目を配っていきたいと思います。
海では相良のお寺さんの集合写真を撮って頂いて散会しました。例の「御朱印」の宣伝用に使うそうです。
さて、昨日の法住寺の続き。
昨日の画像の①後白河陵へ向かう細道の右側が現在の法住寺山門になりますが、石柱が建っています。
こちらのお寺には親鸞さんの木像があるのです。
真偽はハッキリしませんが、あの六角堂へ抜け出した際の身代わりとして自ら製作したものといいます(→お寺のサイト)。
墓地に回ると昨日記した宮内庁の看板の通り、諸々の方々のお墓たちが・・・なぜか卵塔形式。
⑨の旧御陵正門の右手に見えるのが⑩のクスノキ。
その下にあったのが⑪の五輪塔パーツの積重ね。コレに関しては特に野暮なことは記しませんが、やはり気になるのは電線と電柱。まったく超野暮な光景です。
海外からの観光客がどっと溢れかえるエリアだけに。やはりカメラを向けてその両者の存在に「イラっ」ときます。
そして後白河院といえば「梁塵秘抄」です。
兼好法師もお墨付きで「梁塵秘抄の郢曲・・・」との高評価は以前永観堂(またはこちら)の「仏は常にいませども・・・」の碑を記した際にも・・・。
やはり後白河院の寺ということでしょうが、あの歌の冒頭部分が記された碑があります。
「あの歌」とは大河ドラマ「平清盛」でしきりに流れていたような覚えがあるからです。
あの歌のアタマの部分をあらためて見て、これもまた古い日本の文化であったと再確証を得たのでした。
それが上記最後の画像です。
「あそびをせんとや うまれけん
たわむれせんとや うまれけん
あそぶ子供の声聞きけば 我が身さえこそ動がるれ」
石標にはインパクトある冒頭部分しか刻まれていませんが、以上が全体の歌詞。
各各「あそび-たわむれ」の意味、歌った人の立場、状況を深読みして解釈してまた、感慨を深めているものですが、私の取り方はごく単純。
それは子供時代の郷愁は当然にあることでしょうが、当たり前のように「子供」そのものの存在の愛おしさだと思っています。
最近、気になる騒音問題での一番というと幼稚園、保育園の近隣住民のクレームがありますね。
先だっても刃物を持ち出して施設に進入し保育士を脅して逮捕された人もいました。
私は幼稚園の隣に20年以上の居住経験がありますが、子供の声は「あたりまえ」であって文句をつけようなどという気は起こりませんでした。
拙寺の「除夕の鐘」についてある方々は「文化」を指摘されますがこの「梁塵秘抄」(1180年前後の編纂)のこの歌の後段は一つの日本の文化を顕かにしていると思います。
「あそぶ子供の声聞きけば 我が身さえこそ動がるれ」
「子供の声を聞いてパワーをもらう」と語った方もいらっしゃいましたがそれこそが「日本の文化」といっていいのかも知れません。
コメントをお書きください