昨日は朝から「よしもと新喜劇」の開演を思う風のニュース。
「エライ人の二面」について痛く感じ入ったものでしたが、あの方は次のお仕事は「お笑い」で十分食べて行けること請け合います。
朝からの爆笑は素晴らしい新人芸人の登場と思ったものでした。一気にメジャーに躍り出たものと思いきや、「体調不良」とのことでお隠れになってしまいました。
普段は出たがりのクセに何かをやらかしちまうと(というかバレると)「入院しました」とか仰って姿を隠すというのもあの手のご職業の方々のいつものパターン。
今頃「カネやカネ!!」ということで何とか刑事事件にしまいとさらに裏の裏でどなたかが暗躍していることでしょう。
結構まとまった金子(きんす)が提示されていることは優に想像できますが、まあ「何事もなかった」となるのでしょうか。
「いっちょカモったる」、それもヨシです。おカネは大事ですからね。しかしカネの問題だけではないかも知れません。
暴行による傷害行為による治療費と慰謝料は民事事件として当然に受け取ることができますが、やはり誰が見ても刑事事件の匂いがぷんぷんしています。診断書の存在もあるようですし。
やはりボイスレコーダーは証拠能力大ですね。
グーの音も出なかったようで、「出所不明の怪文書みたい」などの言い逃れはできなかったようです。
まぁそこのところを示談金というカタチで「大金を上乗せします」というのがまずこの手の事案のもみ消し方。
以前も役者さんの息子の事件で「そうだった?」と感じる事件の解決がありました。
「ハゲ~」と絶叫されてどつかれて、娘までネタにされたうえ「小遣いもらっておしまい」だとしたらこのお笑いの舞台(激情劇場)の幕引きとしてはごくフツ―の感じ。
万事手打ちとなれば庶民からすればやはり「カネ欲しさ」の計略と思われても致し方ないです。
徹底的にやったれぇ・・・秘書殿。それが貴殿の権利というものです。流されてまた流される人生。悲哀も感じてしまいました。
この件復習しますが「洗面器」が足りないのでしょうね。
エライ人特有の態様を垣間見るいや、おもいっきり見せつけられた気がします。
さて、「敵に塩を送る」という言葉について。
それは当地に直接関係のある語ではありませんが、「塩の道」と呼ばれる街道を控える相良の皆さんからすれば、だいたいその語の意味する雰囲気というものは小さいうちから心得ているところ。
まぁ「敵」とは言わず今でいう「嫌いな奴と私」という関係がありその相手が苦境にあって、あるいはそういった立場にあるときには「積極的に手を貸す」という「日本人の精神の美的感覚」をいうものですが、古来よりその意識はあったということですし、その語を聞けばやはり基本は「そのスタンスであるべき」であると思います。これは、仏教的慈悲の感が漂います。
仏教感からすれば「嫌悪」は「瞋恚」(怒り)―煩悩―を惹起しますので「敵」をつくらないこと。
結果的に相手に手を差し伸べてあげれば自然、「敵」には成り得ないという教えでした。
画像は川名の「おみたらしの井戸」(場所はこちら)。
先日記した福満寺薬師堂の通りを挟んでスグの場所にあります。
三方原合戦の前哨戦としてこの近くのふろんぼさまにて記しましたがここでの武田軍といえば山県昌景軍のことでしょうね。
伝承としては眼病を患った敵将にこちらの井戸に湧き出る水を提供して洗わしたところ、病が癒え、そのおかげで郷に火をかけられることが無かったというものです。
見たところ柄杓など設置されていて、「飲める」との推測はありましたが、私はチャレンジはしませんでした。
他者への慈しみの心は「歴史」の中にも散見できることであり、この日本人の心とはその仏心(恕)を礎にしていたのだろうと思います。
蛇足ですがその仏心とは「自身利益」を超越していますので、譬え意に反した結果(ここでは郷に火をかけられること)となったとしても悔やむことは無かったのでしょうね。
ただ「これで仕舞」を一義に、後世に恨みを繋げないということを心がけたのだと思います。
それを「強い心」という意味で「忍」の字をあてたのでしょうね、自身の心に。
これは私にはまだまだの領域でして、今のところいつも「洗面器」を探しながらヘラヘラと苦笑いを含めて笑っているだけです。
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