先日はまさに久し振りのおのぼりさん。
バスに新幹線と乗り継いで、山手線と地下鉄にて赤坂へ。
先方からは宿泊の件も打診されましたが、そちらはお断りして新幹線の最終で帰宅した次第です。
助かったのは静鉄の高速バスが結構遅い時間まで運行していて、ヘロヘロになりながらもその日のうちに帰宅できたことはありがたいことでした。
何をそう疲れたか・・・といえば「甘っちょろい事」と一笑されましょうが、「人の波」を久々に体感したことに尽きます。
日ごろ「半径数キロ以内に人皆無」という場所、聞こえる音は「木々の間を吹き抜ける風と小鳥の声」という環境を好んで歩く趣向が増したこともあるでしょう。
東京駅-赤坂往復のルートは選択肢は多くあるものの案外面倒なコースです。
先方の指示はおそらくタクシーの利用だったのでしょうが、行きがけは「ちょっと寄り道」ということで山手線で有楽町まで戻りましたがそのあたりのことはすべて想定内のこと。
私が世の「サラリーマンは辛い」とあらためて思ったこと、そしてこの状況が他者のイライラを増長させるのだと感じたのが帰りの終電新幹線の中。
その時間帯は一日の仕事が終わって私以上にヘロヘロに疲れているであろうサラリーマン諸兄の帰路の姿でした。
ラッシュ時ではありませんからそれほどの混みあいは想定していませんでしたが(行きは3人掛け席に私一人)品川駅からはどかどかと車両はほとんど満席になっていました。
東京あたりの車両混雑については「慣れたもの」のつもりでいましたが、日ごろ他人様とのこのような接近遭遇の機会はありませんのでまさに度肝を抜かされてしまいました。
パーソナル・スペースという語を聞くようになってしばし、まさにあの空間を他人様と数センチの距離で共有することに思わず「ストレス」を感じてしまいました。
しかしあのシチュエーションは別格でしたね。
乗車客はまず缶ビールの袋を持ち込んでいて、席が確保でき次第どこかしこからそれを開くあの独特のガスが抜ける音を発していますが、あの時私の隣に座った方は、牛丼弁当を出して頬張りだしました。それがうまそうに喰らい尽すのです。
その発する匂いと絶妙な咀嚼音を聞いて「おお、この世界か・・・」と半ば一部人間の態様と小宇宙を実体験し感動させられたのでした。
「人の事なんか気にしていては何もできやしないよ。図々しく生きなくちゃ」の心意気が伝わってきました。
彼にとっては何よりも、ひと仕事が終わったあとの至上の時間と空間なのでしょうね。
もっとも私はお昼抜き夕食抜きの空腹状態(タイミングの問題でそうなりました)でしたからその腹立ちらしき感慨は「お腹減った!!」からきていたのでした。
画像は行きがけの有楽町駅前。
ほとんど駅前ド真ん前の「遺跡」です。いろいろ歴史的遺構を尋ねてきましたがこういう場所は滅多にありませんからね。
表記の如くこちらが南町奉行所址になります。
石垣遺構の真下の地下通路には「穴蔵」遺構のモニュメントが。看板の通りあの大岡越前の墨書木札が出ているとのこと。
車では行く気がおこらない場所でもあります。
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小山昭治 (水曜日, 21 6月 2017 08:57)
おやおや 14日に行ったばかりのところですね。
有楽町駅前交通会館ですね。
商工会が売り出した、(正確には商工会女性部)マキティーカレーが
店頭に並んでいるところを拝見しに行きました。
Kさんが率いる女性部です。
他の品物に混じり「売れるものかなー?」という感じでした。
私は北海道の「黄金松前漬け」「ロイズのチョコ」などを買いました。
しかし 遺蹟はあるものなんですね。知りませんでした。
今度行ったときはよく辺りを見てみます。
昨日のユーチューブ、午後は削除されたのか見られませんでした。
削除するほどのものでもないけでね。
今井 一光 (水曜日, 21 6月 2017 11:32)
ありがとうございます。
そのカレーの噂は耳にはしていましたがまさかそちらに並んでいるとは
思いもしませんでした。
隠れた名産品の大根の売り出し方を模索したものでもありましょうが、食べてみなくては
分かりませんね。今度そちらをうろついた時は各地の名産品の所望とともにディスプレーされたそちらの状況を見てみたいと思います。
ネット上のアップの規約はわかりませんが、大抵は時間がたてばお披露目されるのではないでしょうか。それだけにお恥ずかしいことですが。
野村幸一 (土曜日, 24 6月 2017 00:13)
人混みで疲弊する…よーくわかります。
田舎生まれ田舎育ちなもので、都会の電車通勤に憧れるところがありました。が、そんな都会人的な気分に浸ったのもほんの数ヶ月程度ですね。比較的私の居住地は静岡県に似た雰囲気の場所ですが人の数は半端ではありません。朝の通勤電車などJRに関しては座ろうなどと甘いことは考えるだけ疲れます。
たまに地元に帰ると静か過ぎて耳の中でキーンと鳴るような感覚がします。
いつもギューギュー詰めの電車はストレスも溜まります。痴漢冤罪に巻き込まれぬよう細心の注意を払って両手は常に他者から見える位置に…
時折、田舎の車通勤が懐かしく思う時があります。
で、突然話が変わるのですが…最近なぜか竹田恒泰氏のYouTubeが気になりよく観てしまいます。歴史好きなこともあり天皇家や宮家にも興味があるからなのでしょうか、。そこで竹田氏が古事記にことについていろいろ語るわけですが、お人好しで騙されやすい性格なのか感化されやすいタチなのか古事記に興味が湧いてしまい、竹田氏の書いた現代語訳の古事記を購入してしまいました。今、冒頭部分を読んでみましたがなんとも突飛な内容でチョット面白いかもしれないと思い始めております。ギリシャ神話にでてくる神々も日本神話に登場する神々も男女の営みがあり子を成し…と結構生々しいです。この古事記に出てくる神々というものが全国の神社などに祀られているのだと思いますが、ここに出てくる神々は人間よりも特殊な能力を持つ別の種族のような印象を受けました。物語ですね。
今井一光 (土曜日, 24 6月 2017 18:59)
ありがとうございます。
「記紀」については私は殆どパスというか知らないといった方が早いかもしれません。
まず先入観としては「歴史」ではない「創作」であるということがありますので、史料が豊富で今や殆ど確定的であるという中世こそ歴史の醍醐味であると教わってきたこともありますね。
最近では「まんざら」とそう排除するものではなく再評価する材料も指摘されているようですが、まったく私にはハナから拒絶してしまう体質が出来上がってしまっています。
特に時代背景が天武天皇期(息子でなく弟が皇位を継承するという異例―壬申の乱という皇室内の内輪もめ)の編纂ということで「現状の正当性を追認」させる判断材料として製作しなくてはならないという意図が感じられてしまいます。
それ以前の史料が無いということは現存していることからそれらにたよることは致し方ないと思いますが、ではそれ以前の史料がないという理由は何なのだろうなどとまた脱線して当時の状況を考えてしまいます。
歴史史料の編纂というものは残った方(勝利した方)が手掛けるというのはもっともなことでそれはそれは都合のイイことばかりのオンパレードになることは必定です。
そういった歴史というものを多角的に見て判断する材料が豊富にあるからこそ面白いのですが、その時期は古すぎて史料に恵まれず単一的視点に陥ってしまう嫌いがありますね。
いわゆる荒唐無稽の域も少なからずあるという認識です。
野村幸一 (土曜日, 24 6月 2017 23:40)
おっしゃる通りですね。荒唐無稽だと思いました。しかし、この荒唐無稽と思われる創作の物語が天皇の正当性を担保している…とされているのが驚きます。
今井 一光 (土曜日, 24 6月 2017 23:44)
ありがとうございます。
深く考えても仕方ありませんが、江戸も後の方になってからその手の研究者が出て、
尊王倒幕へと繋がっていったというのも頷けます。