世の論議に「主説」というものがあれば傍流ともいえる「異説」というものが存在します。
歴史世界においてその手の「各説」が出てくることは珍しいことではありませんね。
そして面白いのは新たな説まで時折登場したりします。
「新説」の提唱というものはしばしば人の目を惹くことが多いですから、ちょっとした目立ちたがり屋さんや発言の機会を得るために手を挙げることも多くて、まずは「話半分」であるというスタンス。その程度のものと聞き流しておくところがベストでしょう。いわゆる「奇をてらう」行為ですね。
要は「違ったこと」は一瞬であったとしてもとりあえずは人の注意を集め、結果「自分自身」を主張できるワケです。
テレビを見ていても芸人さんたちが他者とは違う「変わったこと」を語ればそれは「注目」、カメラはその人を映します。
一つのテクニックというかそれを「破れかぶれの異説」と受けられます。
よって「異説」と呼ばれる「新説」に関しては私は最初から「眉に唾する」感じで受けることにしています。
ただし新資料の発見などの論拠が伴う場合は別ですよ。
さて、最近の信長に関するニュースでその「異説」というものの紹介がありました。
それが「信長の『野望』全国統一、目指していなかった?」
でした。色々とワケわからん解釈がされていましたがオイ、「あの天下布武のハンコ」は何だ・・・と言いたくなります。
解釈としては「武は武力に非ず」の意味するところはわかりますが、「天下を(武でもって)平らかにする」は平定・・・統一に決まっています。
説として
①信長自らの為ではなく「室町幕府のために」戦働きをした
といいますがそれを信じるワケにはいきません。戦国大名というものの旗印はその「大号令」をすること意義があったはず。
②「楽市楽座は信長が始めたものではない」と記されていましたがその件はとっくに知られていることです。六角氏による観音寺城下が初見です。
③信長の比叡山焼き討ちはいわゆる「演出」であって建築物を焼いただけ(人命は尊重している・・・?)。
「信長イイ人説」ですね。
しかし長島一向一揆(またはこちら)や岩村城の秋山虎繁とおつやの騙し討ちに城兵皆殺し等々、数えれば数多。信長の傍若無人と躊躇ない抹殺の歴史(仏敵信長)を教えられてきた私には到底その話は信じられませんね。
昨晩の歴史秘話はてっきり忘れていました。
終了5分前に慌ててチャンネルを合わせましたが、ちょうど金ヶ崎城からの退却(金ケ崎の退き口)の場面でした。
画像は2012年とかなり前のものですが、ついこの間の事のように思い浮かびます。
しかしあの辺りに一旦足を踏み入れると、集中力が欠落します。
「あそこも行きたい、ここも行きたい・・・」
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小山昭治 (土曜日, 10 6月 2017 09:09)
人間は多面性を持っていますから
片方だけの見方では確かではないでしょう。
「異論、反論。オブジェクション」何て番組のコーナーが
ありましたが、人間いろいろです。
みんな違うからおもしろい。
夫婦でも喧嘩をするときもあれば、仲がいいときもあります。
ましてすでに死んだ人なんか推理のしようがありません。
だから面白いのです。
好きに想像しましょう。想像の翼を広げましょう。
今井一光 (土曜日, 10 6月 2017 13:38)
ありがとうございます。
今月の法語(「本当の話し合いは聞き合うこと」)
の通り、まず聞くということは第一です。
しかしどうも最近は「真の話し合い聞き合い」ではなくメディア、特に
テレビなどの番組(演出モノ・・・ヤラセ)ではやはり奇をてらったこと
主眼にして人の目を惹こうとするやり方が横行しているように感じて
なりません。