最近「忍」という名の方に続けざまに2度遭遇しました。
その名の読みは「しのぶ」ですが、イメージとしてはどうしても「耐」という字と合体して「忍耐」とか「耐え忍ぶ」というところ。
ということで「少々ネガティブ・・・」な感じもしないでもないでもない語です。
仏典から紐解けば(やはり正信偈からですが)
「 与韋提等獲三忍 即証法性之常楽 」に。
「観無量寿経」でお馴染みの韋提希婦人が譬えとして出てきます(→東本願寺)。
ちなみに一昔前は故人が女性だとこの韋提希婦人のストーリーにちなんで門徒寺では「観無量寿経」を拝読したと聞きます。
その「三忍」とは「喜忍」・「悟忍」・「信忍」のこと。
だいたい訳を見て雰囲気的には「強い心」のことを記しています。字をよく見てみると・・・「刃物のようにキレのいい心」ですからね。「奴・如・己」+「心」について記してきましたが「刃」+「心」もなるほどとその深い意味を知ることになります。
さて、先日知った言葉に「三悪行」という語があります。
「三毒」といえば煩悩の貪欲・瞋恚・愚痴でした。
どうやらその語は仏典からではないようで、まぁ上記煩悩のうちではあります。
それは特に「定年男性」が陥りやすく、それらにハマれば折角のリタイア後の資金、老後の資金が消失し、よって妻や子との仲も険悪になって一人寂しく終末を迎える事になるようです。
それは
①暇につき日々の晩酌が昼間からスタート。
深酒となってアルコール依存症となる。
②暇につきギャンブル依存症となる。
③飲み屋の娘に年甲斐もなく入れ込んで依存する。
それが「三悪行」とのこと。みんなやはり煩悩でした。
しかし定年退職後にそれらへの願望が「開花」するようで、最初から退職後の資金が豊富であれば、つい手を出したくなることはあるでしょうね。
ところが人間というものは常習性、依存性がありますので、やはり逃れられない「私の心」との闘いになるのでしょうが、大抵のリタイア世代の方々はドハマリになって身動きがつかなくなるといいます。
それらの人々はかつていた会社ではある程度の地位が約束された「エライ人」の割合が多いそう。
会社を辞めたあとにそういった地位を約束された仕事はありませんから、家でブラブラしているほかはないようです。
今更「時給800円のパートになどに出られるか」というプライドもありましょう。
ということで、そのような「悪行」の世界に身を落とすことのないようにするためには
まず①プライドを捨てて
②何かすることだそうです。趣味を持って違う世界に飛び込むのが一番ですね。
大慶寺(上記「心」リンク先とこちら)の墓域には藤枝田中藩関係者の墓が並んでいます。
画像②→⑤はコの字側の墓域の開口部右側から。
メジャーどころでは④が太田摂津守資直とあります。
本多家のお墓は蓮生寺にどうぞ。
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野村幸一 (金曜日, 09 6月 2017 00:29)
今日、遠江石谷氏を研究されている図書助さんという方とfacebookで友達になりました。図書助さんは名字は石谷ではないのですが石谷氏の末裔で私にとっても遠い縁者でありました。こちらのブログも時々読んでおられるそうですよ(^^)
石谷氏の元をたどると工藤氏に連なるようで、遠江相良氏とも繋がってくるようです。
ま、そう言いだしたら人類は皆繋がっているのでしょうかね。
しかし、こんなに古いお墓が残っているのは貴重ですね!
愚痴…出てしまいますね。良くないと頭ではわかっているのですが…
今井一光 (金曜日, 09 6月 2017 07:52)
ありがとうございます。
古い墓が更新されるということは「見る人」がいるというワケで
墓石が残っていることがイイということではないですね。
大抵は更新される場合はスペースの問題がありますので処分されることになりますので。
それが遺されるということはある程度の財力があったということでしょう。
しかし、石谷氏西郷氏と工藤系についての繋がりは今川時代に雌伏を強いられて
いたことを示唆しているところで、「遠江三十六人衆」の割拠に「遠州忩劇」への
ベースの存在を思います。
野村幸一 (金曜日, 09 6月 2017 09:55)
確かに財力は大きな問題ですね。僕の個人的な感覚としては古い墓石はなるべく保存しておきたいと思います。。が、私の上の世代の方々の事情で当家の古いお墓が私の管理下に入ることはないようです。。が、墓参は今までやってこなかった分、継続していきたいと思っております。
3月に調査した本家の墓は結構広く敷地が確保しておりましたね。今後、墓石が2つ3つ増えても問題なさそうでした。
今井一光 (土曜日, 10 6月 2017 13:42)
ありがとうございます。
境内の古い墓石をキープしておくことは私にとっては使命と感じています。
しかし惜しいと思うのは一昔前は、みなさんはどうも古いモノは処分して
新しいモノを新調するということに意義を感じていたようです。
父親の世代はまさにその傾向が強かったです。