昨日は御内佛の開扉式に向かいました。
新築の御宅で密閉性が良く、お勤めの声がまるでスタジオの如く響き渡り、ひょっとして「拝読が上手くなった?」と錯覚に陥るくらい。気分よく調子に乗っている私というものがわかりました。
この開扉式については先日もありましたし、ちょうど昨日御内佛を新調したので「お軸を注文したい」とメールがありましたのでおそらく近いうちに開扉式に向かうことになるでしょう。
御軸について今回は「本山から求める」との依頼がありましたので私が教務所へ発注を代わりに行いましたが、前回は仏具屋さん手配の御軸が使用されました。
基本的にお軸はどちらのものであっても「かまわない」というスタンスではありますが、やはり違うものは違います。
価格も違いますが、見た目に違いがハッキリと出ますね。どうしても安価なものは「それなり」です(「それなり」は「それなり」で十分ですが)。
また本山発行の御軸には裏書があって出何処が記されているところが違います。とにかくお軸選びはまずサイズからですね。ちなみに本山発行の御軸選びリストはこちらから。
さて、先だっての勝竜寺城遠足での私の「見るべきところはいくらでもある」風の言葉にのっとって足に自信のある一部のみなさんと向かったのは城の名ともなった勝竜寺へ。
例の「六親眷属」のエピタフのお話を事前にしていた関係もありました。
前回私が参った際はまったく気にも留めませんでしたが、実は「御利益」が掲げられていました。
ぼけ封じ観音さんでした。
やはりその語<ボケ>には皆さん敏感のようで一同「ボケませんように」と。すでにボケちゃっている身の私としては「この期に及んでもはや遅し」ですね。
こちらに再訪してまた新たに気づいたことが今一つありました。勝竜寺城内史料館にて「久貝城」という名があり、城の通り前の御宅に「久貝さんの表札があるよ」とご一緒した布施氏より声が掛かりました。
ということから歩いて5分の勝竜寺まで住宅街をプラッと歩いたのでした。
勝竜寺はお隣に春日神社その裏に例の墓地があるのですが、神社の氏子の名が記された提灯の並ぶ姿を見てまたびっくり。
久貝さんだらけでした。
「久貝」の地名はまだ残っています。
それがあのサントリービール工場と勝竜寺城の中間地点。
あの辺りは前回歩いていますがやはり住宅地で何らの遺構的なものを感じ取れませんんでしたが次の機会のお楽しみにしておきましょう。
城として南方をうかがえるロケーションともあれば、山崎の合戦で明智光秀の本陣となったであろうと推測されているビール工場の竹藪の線と同じく、この「久貝城」本陣説も捨てがたいところとなりましょう(春日神社と久貝はこちら)。
それにしても以前は近江の鯰江城にあった街区の住宅図で鯰江さんのオンパレードを見て感動したものですが、ここでも久貝城の久貝さんの登場にはワクワクさせられました。
地名と苗字と城の名が重なった時、私の感動はひとしおです。
最後の画像は前回と重なりますが、あらためてこれら墓石たちの古さを思います。室町期は確実の匂いがしますね。
特に画像緑色に変色したであろう五輪塔水輪の一番下の石材に注目しました。
上部に違う五輪塔火輪がテキトーに乗っけられていますが、彫りの月輪の梵字からして宝篋印塔の塔身を思わせます。
何しろバラバラになってしまっているのでしょうが、おそらくこの住宅街の下にはまだまだ埋まっていることだと思います。
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