先日の法要でのお斉は「太陽光発電を家に」という方とその経済効果について「疑問だ」という方が隣り合って私の前席に。それぞれの意見をうかがいました。
初期費用400万円の投資で「月の電力代はなし」の効果だそうですが、「プラスになるのはいつになるの?」という不安があるよう。
というのも設置した屋根の耐久診断が5年ごとにあり(勿論経費必要)、中にはイイ加減な工事によって雨漏りの発生したという事案もあるようで「冷や冷や感はある」とのこと。
設置に使用した機材、屋根そして本体がいつ「交換です」の申告を受けるかというところがそのプラスになる時期に関わってくる心配が常につきまとうようです。
電力会社は電気を買い受けなくてはなりませんのでそのシステムにそもそも消極的です。お国も当初の掛け声からは程遠くトーンダウン、最近は買い取り価格もどんどん低下しているよう。
ビジネスとして成り立たなくなったという噂もちらほら出てくるようになって大手のパネル屋さんも減産に入っているというニュースもありました。
何でこのお国は自然エネルギーに肩入れしないのでしょうかねぇ。わざと参入をしにくくさせているのは・・・やはり原発推進のウェイトが強いということ。
さて、古き京都の街道の名「渋谷街道」については何度かブログに登場しています。
この「渋谷」(しぶたに)の発祥は「滑る谷」といいますね。
水が湧き出てズルズルと滑りやすい山道であったことが想像できます。
六条・高倉陵下歌ノ中山出口から見た「渋谷」の京都側の図はそちらの④の図ですが、「谷」という具合がよくわかります。
丁度その画像の谷のあたりが上記の図となります。
小松山正林寺の三門前の分岐が古渋谷街道でその出口にあたるのが①②画像となります。両道とも合流して1つの道になりますが画像方面に行けば東大路通馬町交差点に当たります。
②画像を反転して東に向かえば③になりますが、いわゆる東山トンネルから出た五条通のバイパスの一方通行。
左折しかできません。そういうこともあってこちらの道標に行き着くには徒歩(ただし人が歩くのは危険というか無理)か、六条・高倉陵方向に出てからトンネル③の上に上がってから回り込むしかありません。行き着くまでが難しい。
まぁ明治期の標識ですが、一見に価する代物です(場所はこちら)。
特に「大仏」と「本願寺」の並列は面白いところ。
京都大仏については何度か記していますが、当時から何気なく「大仏」という表現が一般に通じていたというところが少々驚き。現在、京都市内で「大仏は?」といってもまぁ殆どの場合通じないでしょうね。
下の画像が二つの道が合流したあたり、上記①②の山側にあった石仏。
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