拙寺の恒例開催のバス遠足の件、毎度記させていただいていますが今年は少々ピンチ。
毎年お馴染みの顔ぶれが参加を見合わせるという傾向、そういった時期に「落ちた」というところ。
皆さん齢を重ねたというところですね。
前年の「遠足」から私の知っている限り3人が救急車で運ばれているという状況です。
皆さん現状復活の姿を見せていますが、「旅先で何かあったらどうする・・・」などと家族に脅かされるなどしてリタイア宣言。
何事も継続することは難しいものですね。
しかし、「旅先でぶっ倒れるかもしれない」などと考えたら今後何もできなくなってしまいます。
これは昨日ブログで記した如くの「歩かない」「外に出ない」「歩くことが億劫」といった内向きの考え方「死を早める」を持論としている私は「本山や東大谷で倒れる事があったらむしろ本望でしょ」などという冗談は軽く一蹴され、むしろ気持ちを萎縮させてまったようでした。
付属企画のウリは京都国立博物館です。
なかでも特別展の「海北友松展」(2017年4月11日 ~ 2017年5月21日)。何より「開館120周年記念特別展覧会」と鳴り物入りもののイベントです。
特に最近はこれまでのバスツアーにつきものだった宴会とカラオケを排して観光の核となる場所を決めておいて、あとは自由行動主体のものです。
そして日頃私自身が「歩きの推奨」をしている故にそうなるのですが基本的に足を動かすということも目的としています。
よってバスの座席に座って景色を眺め、ポイントポイントまで連れて行ってもらえるというカタチはとっていません。
まぁそういうところが年々の「参加者減」に通じているということは重々承知してはいますが、昨日も記したように「歩かないと健康寿命は保てない―不歩如至死―歩かないと死ぬ」が私の持論ですのでそこのところの路線変更は不可ですね。
まぁ歩けなくなってから往々にそこのところに気づかされるのですが、仏教的「気づき」であるならば気づいた段階=修正という方向性が見られるのですが、この「不歩如至死」に関しては「気づいた頃は致命的」「既に遅し」というところが現実の厳しいところ。
いつでもどこでも「体を動かす」「歩く」を主にした生活を心がけることが大事なのです。「歩くのが嫌・・・」聞かされ続きましたが「ハイ 大事にしてください」としか言えないところが切ないですね。
まぁ上記の事を語れば大層な嫌味となります。
今回の遠足初日は行き先は指定していますが夜間は自由。
そして2日目が京都国立博物館脇の大仏前交番に降りていただいたら博物館見学後は解散。再び降車場所に集合するというものですからある程度自身で「身の振り方」を考えていただくことになります。まぁその辺りの点も「ダメな人にはダメ」でしょうね。
ツアー内に「美術館へGO!」を組み込むことは確かこれで3度目(ボストン美術館展・洛中洛外図屏風展)となりますが
私の独断の思い付き決定であって皆さんの意向というものは考えていません。お方様の指摘ですが「すべて私の趣味」とのことですが・・・まぁその通りです。
「海北松友」(かいほうゆうしょう)は知る人ぞ知る湖北の雄、海北家を出自としています。
ちなみサイト左側の「江州佐々木南北諸士帳」の1を開いていただければ・・・浅井郡に
瓜生 住 佐々木浅井随兵 海北善右衛門
瓜生 住 海北主善
瓜生 住 海北主水正
とあります。主家を当初佐々木⇨浅井の流れは湖北諸士と同様です。
海北松友の父は「浅井三将」と呼ばれるほどの武将「海北綱親」(他の2人は「赤尾清綱」「雨森清貞」)です。
~以前ブログでは同じ江北、木之本の「布施」や「赤尾」について記しました。
何故にして海北松友が刀を筆に代えてその世界に入ったかを考えるとやはりその時代と家を継承する立場(兄がいた)ではなかったかと。しかし画才そのものに抜きんでたものがあったということ。
とにかく彼は自虐的に「誤落芸家(誤って芸家に落つ)」と語っていますがやはりこれは「筆(芸事)」で身を建てたものの武門への未練があったのか・・・とも思えるところです。
浅井家没落と共に家系は憂き目を見ますが松友は秀吉に見いだされて独自の画風を確立。当初は秀吉方の武将との交友が深く特に安国寺恵瓊のいた建仁寺に入っての作品群は目を見張るものがあります。
建仁寺(こちらまたはこちら安国寺恵瓊墓も)には昨年の遠足で四条河原町のホテルから皆さんには歩いていただいたのですがそちらに展示されている海北友松の双龍図(レプリカ)ほか襖絵に気づいた方がいらしたかわかりません~(法堂―はっとう―天井のものとは違います~)。
それらの松友の作品群が一堂に会するというのが今回の企画ですね。
表記「老いて益々自在」の表現は先般NHK「日曜美術館」での「月下渓流図屏風」という最晩年(82才近く)に記された作品の寸評でした。
昨日はポールとミックを引き合いに「日本人にはいない」と記しましたが我が国の「芸」には我が国なりの「芸」というものがあってその芸に達したパワー溢れる年配の達人がいたのでした。
①が今回の図録の表紙(サイト)。②③が建仁寺の襖。
④が「月下渓流図屏風」六曲一双 紙本墨画淡彩でアメリカのコレクター(カンザスシティ・ネルソン・アトキンス美術館)から借りてきたもの。
本展示会の代表的作品ですが、ここでまたボストン美術館展の際と同様、日本人社会にはこういうものを評価できる目というものを持ち合わせていなかったという悔恨が沸き起こってきます。海北友松(ウィキ)でこの繊細画像をダウンロードできます。
⑤は「梅図」。
昨年見た海北でしたが今年もまたホンモノに出会える喜びを伝えられればと思っていますが・・・どこまで。
こういうものを私がゆっくりと拝観したいがための自由行動ではあります。
コメントをお書きください