旧愛知郡愛知川町大字愛知川 寶満寺 正月初参り

一般の「初詣」なる語の通り、それは「年が明けて最初の参拝・・・」ということですが、寺現住の「今年初」となるお参りといえば手前拙寺の御堂で・・・というのが当たり前のこと。

 

振り返って見るに私が今年初めて挨拶に上がった他所のお寺といえば息子を京都へ送りに向かった際に立ち寄った近江の寺たちですね。

拙寺の阿弥陀さん以外の阿弥陀さんへの「初参り」です。

そもそも真宗門徒というものは阿弥陀さん以外の仏たちに向かってあまり「真面目に? 手を合わせない」という風があります(やはり私もその傾向が強い・・・)。

時間があれば真宗寺院とあれば境内に立ち入ってのウロウロ、散策を兼ねて阿弥陀さんのお顔を拝見し手を合わせに参るのはまったく億劫に感じませんね。

 

近江にはたくさんの立ち姿の阿弥陀さんがあります。

真宗大谷派の寺院が多いということからこれは当然のこと。

そしてまた、こちらの寺の特筆すべき点はその寺々の由緒ときたら半端な古さではないということです。

 

私の固定的イメージでもありますが「古いことはイイことだ」は口癖。

これは先日亡くなった永田さんが「古い」という語に対して反応したため(「私を老人扱するな・・・」 この地区には年配者のことを「古い人」と呼ぶことがあります)私はそう言ってその「古いもの」の価値を強調したものでした。

 

近江の真宗寺院の発祥の「古さ」は駿河遠州あたりのそれらとは比較にならないですね。

この辺りでは拙寺の如くせいぜい室町戦国期創建のものとなりましょうが、近江辺りではその時代よりも800~900余年古い寺がまたぞろにありますから。

 

さて、先日のお斉の際、「愛知川」(えちがわ)とは何と紛らわしい読み・・・という話題が出ましたので愛知川宿で一番のスケールを誇る「寶満寺」について。

表記の如く旧地名でいえば「愛知郡愛知川町大字愛知川」(現在愛荘町愛知川泉町)と気持ちがイイくらい「愛知」が連なっている場所になります。

 

「愛知川」の地名は「衛知川」「恵智川」の如く、「叡智」に関わるものかとそれもどうでもいいようないい加減な捉え方をしていましたが、やはりしっかりした歴史がありました。

 

こちら「寶満寺」(場所はこちら)について紐解こうと当たっていたところ「朴市秦田来津」(えちはた の たくつ)という人の名に当たりました。白村江の戦い(天智二年663)に顔を出すような人です。

 

どうあってもこの「朴市」を「えち」と読む人が居たとは勉強不足を恥じ入るのみですが、その後の「秦」を見て「なるほど」と思わないワケはありません。

湖東三山かそのあたりのどちらかで秦荘町と愛知川町が合併して「愛荘町」になったこと、「秦荘」の町名をなくしたことは残念・・・のようなことを記したと思いますが、実はこの辺りは帰化人の「秦氏の郷」だったのでした(学校の名称には「秦荘」の名は残ります)。

当地駿府羽鳥建穂寺にもその帰化人の名が見られましたが各地に残る「秦」の地名はそのことを示唆していることはまず推測するに当然のところでしょう。

ということで「朴市秦」→「愛知秦」。

それらを伝えて戦国期にあったのが愛知氏と。

今の字面は「音」からの「当て字」ということがだいたいのところでしょう。そもそも古~い時代のことでしょうが。

 

近江の古い歴史を持つ真宗寺院は当然の如く元々の宗旨が浄土真宗であったワケは有りませんね。

まずは3度の改宗を重ねて今があるという状況です。

それが当初の南都六宗系?→真言宗→真宗というパターンです。

時としてその真ん中が天台宗というのも多々見られます。

 

それにしても親鸞という人は凄いですね、どちらの寺に行ってもなんとなく寺に滞留し、さらっと寺そのものを真宗に変えてしまうのですから。

 

寶満寺の伝承では宝亀年間(770~781)に知徳という僧が大日如来を本尊として建立したのが始まりでその後に延暦五年(786)に「秦豊満」という人が豊満神社の別当寺として「豊満寺」として再建したとあります。

 

話が飛びますが隣接した町名に「豊満」という名称が残りますしまた「豊郷」という地も隣接していて、こちらには「豊」の文字を多く見かけると感じます。

 

「豊満寺」の成立後、建暦二年(1212)親鸞聖人が入って寺の慈全を門弟として真宗に改宗。応安五年(1372)「寶満寺」に寺の名を改めて今に続くといいます。

 

私が驚いたのはこのお寺「寶満寺」のご住職の姓が「豊満」(とよみつ)さんだったこと。

真宗寺院は両本願寺同様「血脈」「血統」を重んじますのでこの「豊満」、いったいどのあたりから続いているの?とのインパクトでした。一見電話帳に目を通してもこの姓は1件きり。

 

画像詳細に関してはこちらのサイトにも詳しい画像がありますので参照リンクさせていただきました。

ただし誤りを指摘させていただけば本尊が「大日如来」とありましたが「阿弥陀如来」です。

 

国道8号線を走っていればこのお寺の大きな本堂が目に入らない方はいないでしょう。

ちょうど国道からは本堂の裏側になります。正月は国道側の木々はあの通りでしたが次に通過した時はキレイに伐採、整えられていました。

最後の4枚が国道側からの図。

堀と石垣がより戦国期を通した寺の雰囲気を醸し出しています(愛智氏-愛知氏 城館址の推察)。

石垣には墓石の使用と思われる箇所が見られますが、これはおそらく古いものではなさそうです。