とにもかくにも先人たちの知恵には「まず私などは及ばない」と考えておくことが肝要。それが自信に満ちて驕り高ぶる私本位の心を抑えていく最良のスタンスです。
実際にその通りでありますし・・・
まずは「自信をもって事に当たれ」の教育理念が闊歩する世代であり、その何らかの成果を求め成就していく目標を定めて、結果「できる」という「自信」を持つことが何より大事と育てられてきたためのオーバーペースを自ら窘めるために必要なことと思っています。
自信など大抵はあとからついてくるものであり目くじらを立てて強圧する語彙を並べたてるものではありませんからね。
昨日の永田さん(旧姓野村)の四十九日法要のお話は永田さんがよく口にしていた「おそまつになっちゃって」の「おそまつ」から「おそまつくん」赤塚不二夫、赤塚不二夫から真宗的メッセージを引っ張って・・・
バカボンのパパの常套句「これでいいのだ」を。
「おそまつ」になるのはあたりまえ、すべて受け入れてその語で納得するというところです。
まぁ、その「やればできる」の如く大層な言葉は指導者のお決まり文句ではあり、できない子供たちに向かって叱咤激励するに一番の都合のいい言葉。
振り返れば私もかつて子供に使ったことは確かですね。
しかし考えてみれば「できないものはできない」のですから、それを言われ続ける「できない」子供達はたまったものではないですね。だいたい言っている本人ができた覚えがないのですから・・・。
よってその指導者の言葉は陳腐化していくのでした。
できた子はそれはそれでヨシ、できない子(ドジった子)もそれでヨシなのですね。
要は「ドジ踏むこと(失敗)をおそれない」という考え方が大切なのです。失敗の場数を踏むこととも言えましょうか。
ということで私の息子への今後のあるべき親としての対応スタンスと自身の「デキ損ないさかげん」を正当化させるために記しました。悪く言えば開き直り、坊さん風に言えば「諦観」。
さて、昨晩の大河のあとの特集は熊本城の石垣について。
気が遠くなりそうな課題と仕事であることを知らされました。
特に印象的だったのは熊本城武者返し(のり返し石垣)は緻密な計算式によって作られた「侍たちの叡智」との表現です。
侍とは勿論加藤清正。彼のアイデアで作られたといわれるところは定説ですが、これまで私たちはあの曲面については敵を跳ね返すための守備上の工夫程度にしか教えられてきませんでした。
記憶を辿ってみてもアレについては必ず防衛上のものという説明がありましたね。
ところが昨晩の番組では「武者返し」の語を改めなくてはならないような内容。
あの「のり返し石垣」は清正の試行錯誤の結果であって実は「地震対策」だったかも・・・という結論。
西南戦争でぶっ壊されたあと、修復に当たったのは駐屯した陸軍だったそうですがその修復石積み(直線積み)に今回地震での圧倒的損壊が多いといいます。先人の知恵というヤツですね。
番組では清正が熊本城を作った1599年の直前、文禄・慶長の役の際に作った西生浦倭城(1593)の直線の石垣を指摘し、では「熊本」までの間に何が起こったかを検証。
その6年間の間に起こった事件が慶長伏見地震(伏見城-指月城)であり、清正はその惨状を目の当たりにして地震に強い石垣の製作を試行錯誤したという番組展開でした。
加藤家のあとに入った細川忠利の時に地震が2回熊本を襲っていますがその際の記述に石垣改修の記述のある文書を紹介していました。現状清正の「のり返し石垣」であっても石垣の膨らみ箇所が各所に出現しているといいますが、細川時代の修理はそちらの箇所のこと。これは石垣の裏側に込められる「栗石」(ぐりいし)が地震の揺れの続発に沈み込んで一部の石垣に重量が集中するというメカニズムのよう。
「栗石」は荷重分散のための先人の知恵と思われていたのですが、意外にも地震には弱かったということが分かったそうです。
細川忠利は石垣の修繕に、より大きな石の採用をするという改善を行っていますが、今回の地震の教訓から「栗石」の修理施工は特殊シートで階層を区切ることによって全体が沈み込むことを避けようとするもの。
先人の知恵を重んじそちらをベースとした試行錯誤を重ね改めるべきところを改めることは必要ですね。
画像は昨日まで開催されていた「二条城ライトアップ」の図。当家「京都特派員」の取材です。
サクラの満開の日曜の夜間に京都に居るなどのシチュエーションは奇特なこと。その御縁に恵まれることは滅多なことではないですね。
彼の住居は二条城北、清明神社西側あたりで、現場からは「自転車で5分」の場所。よって「楽勝」の部類です。
入場料400円+αを請求されましたが。
万人絶大人気の二条城。
昼間の混雑は酷いことは承知していますが、このライトアップ企画の方も「バッチリ見頃」とのことで前回の金閣寺に続いて「無茶苦茶混雑」の部類だそうです。
私の嫌いな「混雑」は彼奴(バカボン?)が行ってくれますのでありがたい。
昼間の二条城の様子は以前の通過車中、助手席の「バカボンのパパ」のもの。
最近殊にドジを踏み続けている私は彼に窘められてばかり。
すべて「これでいいのだ」。
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がつお (月曜日, 17 4月 2017 15:50)
話の本筋とは違うかもしれませんが。
理科の実験の話で最近の学生さんは「結果がこうなるはずだからそうなるためにはどうしたらいいか」を聞く。
本来は実験をして理想(理論値)から外れた場合に「なぜそうなったのか」を考えるのが学問であり学習だと思うのだけれど一体何がそうかえてしまったのだろうかと思うと非常に残念無念。
以前のコメントの件ですが、ちょっと私のコメントが言葉足らずで駿遠に移住した人ではなくて江戸時代の人が書いた家系図で戦国時代の浅井家家臣の野村氏関係でいろいろと調べたいということで・・・
でも家系図って難しいですね。
以前の話は私の母の実家の家系で母の養家(今の私の姓ですが)の家系も調べていて新潟の大谷派のお寺ではないかとこの間お手紙を書いたらビンゴで時間ができたら伺って話を聞こうかと思っています。
でも今は実家を離れられない事情があるのでしばらくは保留ですね。
参考までに教えていただきたいのですが、そのような際にお寺さんに何かお持ちしようかと思っているのですがどんなものがいいんでしょうか。
菓子折よりはお布施の方がいいかなとか、お布施ならどの程度包むのがいいのかなと。
お気持ちって言われてしまうのが一番困るわけで・・・。
難しいですね
今井一光 (月曜日, 17 4月 2017 19:15)
ありがとうございます。
理科の実験のお話は面白いですね。
子供達はゲームの攻略法でも尋ねているような気持ちなのでしょうね。
さて、儀礼挨拶に関しての決まりは「ない」というのが結論です。
そもそも「寺」というものは万人に門戸を開いているということが一義であって
来訪者に手土産や金員の持参を期待していることはない筈です。
よって一般的な先方様訪問の儀礼という範疇での「お気持ち」を表せばよろしいかと思います。
私が訪問者の立場で申せば地元の名産品の少々・・・静岡ですからお茶は定番です・・・を
ご挨拶の品として持参しています。