「駿河の戦国大名 今川氏展」藤枝郷土博物館

藤枝市と周辺市町村、やはり勢いの差というものを感じます。

一番の差といえば何と言っても人口の件。

継続的な人口の減少に頭を痛める牧之原市などに対して藤枝市はその逆、人口の増加傾向が続いているよう。

まぁ「沿海にない」という立地的メリットを強く生かして周辺の沿海域自治体からの受け入れを担っているのです。

 

静岡市がまた人口減少で苦しんでいる件はことに「政令指定都市のうちで唯一基準割れ近し」(いわゆる「恥」)というニュースで承知していますが、今回私が感じた「藤枝のヤル気」を思わせた件は標記「駿河の戦国大名 今川氏展」(案)の開催計画がある「藤枝郷土博物館」。

 

かつて数度となくお邪魔していますがその企画展たるや相良から片道1時間をかけても十分満足できるもの。

画像②は昨年の目玉だった「武田軍団展」のものですが、「よくもまぁ集めた」と感服したものでした。

(「駿州田中藩主 本多家展」について記したブログはこちら)

 

さて、その「ヤル気」について私の所感を記させてください。

①よ~く考えてくださいよ。今川家といえば駿府・・・静岡ですね。しかし静岡は今、徳川一本やりの雰囲気。

大々的な「今川展」なる企画はホントは駿府がもっと気張らなくてはいきません。静岡駅前の銅像ですら建てられないそのヤル気の無さをいつも嘆いていますがこちらも「なかったこと」にするのでしょうかねぇ。もったいない、もったいない。

そこのところ「ヤル」と手を挙げたのが藤枝だったのでした。

 

②よくよく考えると「今川」といえば「史料不足」が最大難関という点がよく言われます。武田信玄が駿府切取りの際、今川財物含めて(実のところ懐の中に入れてそう伝えたのか知れませんが)「焼き払った」ことは有名な話。

よって伝わる「カタチ」としての史料は非常に少ないのです。

ということでこの「今川」に特化した企画展はそもそも難しいのです。

その決定的難度に挑戦しようという「ヤル気」です。

 

藤枝の地は駿府ほどではありませんが案外今川家とはかかわりが深いことは事実。

詳細については正式発表を待ちたいところですが、多少リーク(ごめんなさい)した資料が手許にありますので転記させていただきます。

ただしあくまでも現状予定ですから変更等ご了承ください。

 

会期 平成29年6月2日(金)~7月17日(月・祝) 39日間

    毎週月曜休館日 ただし7月17日は除く

 

展示構成案

1 南北朝の動乱と今川氏の駿府入国

  重要拠点「葉梨荘」への入部

  今川氏初期三代と志田地域

2 今川氏親を支えた法栄長者長谷川氏と小川城

3 天文五年(1536)の花蔵の乱と葉梨城~義元政権の誕生

4 東海一の弓取り「今川義元」と駿河

  戦国大名今川氏の強盛期 三河尾張侵攻と桶狭間の敗戦

5 守勢に立つ今川氏真 今川氏の衰退と滅亡へ

6 駿府で栄えた今川文化の栄華 戦国三大文化の一つ

 

期間中記念講演会、歴史講座多数。

私には土日ばかりでキツイものがありますが、時間さえ合えばすべて聴講したいものばかりです。

勿論「今川」といえば・・・の小和田哲男先生の時間もあるようです。

まずは博物館の正式発表をお待ちください。

 

 

博物館に行けば「田中城跡散策ガイド」がもらえるそう。③④

①は田中城下屋敷の櫓。入場料は以前は無料でしたが、最近こちらは御無沙汰していますので不詳です。

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コメント: 2
  • #1

    野村幸一 (日曜日, 16 4月 2017 07:46)

    歴史に詳しくない私の今川氏のイメージはあまり良くないです。どこが良くないのか?と聞かれると、そこはボヤッと曖昧でなんとなく雰囲気が…

    それはなぜか?と考えると、今までテレビや映画等で描かれてている今川義元像が多大な影響を与えているのでしょう。あと桶狭間で負け戦国大名としては滅んでいるというイメージではないかと思いました。
    一方、德川氏は悪役で描く場合もありますが主人公になるときもありなにせ天下を取り戦争の無い時代を作った…というイメージ、史実、雰囲気が混じり合っているように思います。

  • #2

    今井一光 (日曜日, 16 4月 2017 08:25)

    ありがとうございます。
    歴史ドラマの演出方法は大きいですね。
    今回の「直虎」でも「まず役者ありき」の話題性はありましたが
    「台詞殆どなし」に仕立てての「不気味」を表に出していました。
    日本人の好みもそうですが歴史は勝った側が作るもので結局は不詳の負け組に関しては
    趣向が向いてきません。
    しかし今川義元は幕府再建の絶大なバックボーンとなって、かつひょっとすれば
    将軍職に就けるかもしれぬ絶大勢力を誇った大名です。
    それがわずかなミス(油断)によって「完璧」が崩れ去ったのですが「負けた」という
    結果だけが残って息子の氏真ともども、評価は「愚鈍」「無能」とされてしまったのでしょう。氏真以降の滅亡に至る経緯は何ともいただけないという感じは残るものの
    やはり義元期の今川最大勢力はもっと評価されるべきですね。

    その役目となるはずの駿府が「家康のみ」に傾注していることが最大の理由でしょう。
    地元で過小評価している状況ですから。
    傍からみていても「宝の持ち腐れ」のように感じます。
    私からすれば・・・言葉を選ばずに記させていただけば
    藤枝市は「賢」、静岡市は「愚」のイメージです。