「歴史」についての解釈というものはさまざまです。
「史実」は一つではありますが、何せ史料が少ないうえに後世になってから勝手な解釈による歴史書、文書が記されてこれまでの史実がカンタンにひっくり返されるようなこともままありますね。
たとえば一つの戦闘状態が勃発した場合まず「勝負」が決するのですが、歴史書というものは大抵は勝ち組が記すもの。
「勝者の歴史」なのです。
勝った者はできるだけ自らの正当性を主張(勝ったという事実自体、神慮の如き正義)しようとしますし、少々難義した事実も「なかったこと」にしようとストーリーを展開しようとします。
周囲はその「強き権威者」たる勝者に配慮して「イイことばかり」を記す事になりましょう。
よって時代を経た後世になって記された記事を含め、単体の文書の評価というものは疑ってかからなくてはなりません。
角度を変えた階層、複数の人物による評価があったうえに矛盾の有無等を検証したのちに「史実」の仲間入りをするのです。よって「新説出ました」と何かしらの史料が表にされたとしても、それを比較評価、後押しする史料が出てこない限り「通説」(史実に近い方)に一蹴されてしまうのです。
さて、表記三河柿本城について記さなくてはなりません。
以前ブログで記していた状況が一変したからです。
大河ドラマの進行ですが私が勝手にその登場を喜んだのが「三人衆」です。
鈴木重時、近藤康用、菅沼忠久の3人ですがかつてブログでも何度か記しています。
現状ドラマでは今川からの指図によりあたかも小野政次に連れられて井伊谷にやってきたような感覚で描かれていますが、彼らはそもそも三河の国人衆です。
今は台詞が少なめの三人衆ですが、これから家康の調略があって家康の遠州侵攻の要となります。その後に井伊家臣団に組み込まれていくワケですね。
その三人衆のうち鈴木・近藤に関わりの深い城が柿本城ですね。
先般はこちらの城の本丸直下にある満光寺の真ん前に設けられた道の駅「鳳来三河三石」に五平餅を食しに立ち寄りました。 柿本城は登城難解とレポートしましたたがここでも実際は変わっていました。
驚くことにお寺の境内からの登攀路が整備されていたのです。
これも大河ドラマのタイミングにあわせての地元の配慮が見られました。売店脇にも新しい掲示板やパンフレットが設置されて「ヤル気」というものを感じましたね。
これにより散策レベルの登城が可能となりました。
境内小社の看板はちょっとばかり急いで記したという感。
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