先日、句仏さん(大谷光演― 彰如 東本願寺23代法主)のお軸について記しました。
そのお軸に記された句が
「 勿体なや 祖師は紙衣の 九十年 」
でした。
私の感覚では「もったいない」は「ありがたい」の上級表現であると・・・。某所にてそんなお話に触れた(というか作った)ことがあります。
両方とも否定形式で素直な感謝の心情を表現するものですね。
「勿体」は「重く存在する(有る)」のことですからやはり「有る」を否定する「有り難い」の同類でより一層存在が難しいほどの感謝の意。
その「重たい」部分がより「上級」であると感じるワケです。
よって句仏さんのこの句の「勿体なや」は「ありがたや」でもよろしかったはずですが、それ以上に善知識たる御開祖に対してその「勿体なや」という表現と自然に出てきたのでしょうね。
世の中、「有難う」も「勿体ない」も欠落の傾向にあることは間違いないところ。
またインチキ、嘘八百と魑魅魍魎まかり通る永田町の住人が「道徳教育」(すでに死んだはずの「教育勅語」なる語彙の復活)について真顔で語ってくれる姿はむしろ寒々しい。
さすが化け物揃いのお歴々。
復興省お大臣さまの激高振りとその後の反省の弁、寒いよりもお笑いの部類。カッコわるいですね。
よしもと新喜劇へ、採用決定!!でしょう。
さて、その句仏さんの句は、河東碧梧桐の句への返句だと聞きました。
句仏さんが「師」として仰ぐ河東碧梧桐が病で伏せている句仏さんの見舞いにやってきて、思わずその粗末な煎餅布団ぶりに驚いた碧梧桐が記したといいます。
明治政府は実は東・西本願寺の法主には特別待遇をして「伯爵」位を授けて格別なはからいをしています。
お東といえばバリバリの佐幕派でしたね。ではそれはなぜ?
慶喜の大政奉還あたりまでは句仏さんの祖父の21代大谷光勝がそれまで、過去の対信長戦、石山本願寺籠城を彷彿とさせるが如く全国門徒に下知して「薩長といざ戦わん」くらいの状況にありました。
ところが流れを読んだか説得されたか心情急転し画策に動いて生き残りを確保したというところ。
そもそも勤皇派にも顔が効く人脈(奥方)を持っていたわけで・・・。
そういうことで「伯爵」の見舞いに行った碧梧桐がその粗末な布団について詠んだ句がこちら。
「 お粗末に 見たてまつりし 蒲団かな 」
自分の事を「師」と仰ぐ句仏さんの「位」としては東本願寺の法主であり伯爵ですからね。
この句に対するあの句にはむしろ「温かさ」を感じます。
さて画像は昨日の旧榛原町、勝間田城のある台地の東側向かいの台地上にある森の中。
私の「秘密基地」のヤマザクラ。出てきた葉っぱが赤っぽい。
こちらには榛原・吉田地区の火葬場がありますが、御骨あげのお勤めの時間待ちに忍んでいました。
90分程度の時間がかかりますので、自坊を往復するのもいいのですがこの日はひたすら森の中に潜んで耳を澄ましていました。
鶯の声が森の中に響き渡っていました。
ポカポカ陽気で戴いたお弁当が気がかりになるほど、今年一番の絶妙な季節のひと時を満喫させていただきました。
尚、私は法事前に食物は摂らないようにしています。また休憩所に同座してのおしゃべりはそのあとの「発声」に問題がでてきてしまいます。
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小山昭治 (水曜日, 05 4月 2017 08:51)
さすがプロ。声を出す商売とは言え、そこまで気を使っているとは思いませんでした。
しゃがれ声でもいいのですがね。
わざわざ低い声で威厳があるように?発生する方もいますね。
人それぞれ。
まだB&Gの桜は咲いていません。
遅い。東京は満開だというのに不思議な現象です。
「もう一度花見をやれ」と言うことでしょうか。
今度は「花見」だけで。
今井一光 (水曜日, 05 4月 2017 09:28)
ありがとうございます。
きっと声というか喉の質に問題があるのでしょう。
1日「これだけ出せばおしまい」のレベルに達して
声がしゃがれて出てこなくなります。
声が完全に枯れると風邪をひくというパターン。
よってたくさん声を出した日は
ビタミン剤を多めに摂ってしっかり寝ることが心得。
すると大抵は元に戻ります。
静岡のソメイヨシノは「不思議」の一言ですね。
コレは阿弥陀様からの「謹みなさい」のお達しでしょうね。