岡崎別院 句仏さんのお軸 お隣は岡崎神社

昨日の静岡は寒かったですね。

午後の法事が終わって静波の墓地に向かいましたが、空の状態もかなり不安定に感じました。一時は風がビュービューで痺れました。

車を走らせて右前方を見ればる静岡や富士方向に暗雲が立ち込めて明らかに荒れているという感がありました。

中遠地区は僅かながら白いもの(ひょう、あられ)が落ちてきたようですが、墓前では幸いに風だけで濡れることはありませんでした。

 

午前からは知り合いが依頼されて海に出る予定(海洋散骨)があるとのことでしたので、その件を取材したいと以前から紹介を頼まれていた「聞屋さん」とのセッティングをしていました。

しかし生憎と海上の様子も最悪ということで船長判断で中止になってしまったようです。これはあの天気図では致し方ないでしょう。私も責任上「気象庁発表」とにらめっこしていました。

 

自然に関わるイベント責任者は「中止」の決断ができるかどうかもその力量の内。予定優先での強行は「愚」ですね。

昨日の雪崩事故の件、痛ましい若き者たちの死については今後、刑事と民事で重大な責任問題となることは必至でしょう。

既に遅しの「たら れば」になりますが、状況判断し「中止」判断がなされていれば・・・と思うばかりです。

 

私のブログは「ボヤキ一筋」でお見苦しいところが多々あるとは思います。

ブログでなくとも殆ど「私の計らい」などままならぬこと多く、日々寒い・痛い・疲れた・アホくさい・眠い・早い・遅い・・・・あげていればキリがないくらい多くの見苦しい躰を曝しています。

わかっていながらこのザマですからね。

より罪は深いと感じます。

 

さて、明治九年に岡崎別院(こちらも)という名への変更(元は親鸞屋敷・・・)がなされますがこちらには「清池館」と命名された学問所が設けられました。

清澤満之や金子大栄など真宗哲学の双璧と呼ばれる方が活躍した場でもありますが、大谷光演門主が学んだ学舎でもあります。

 

大谷光演は真宗大谷派(東本願寺)二十三代法主の「彰如」さんのこと。

特異であったのは俳人としても著名であったことでしょうか。

 

「句をもって仏徳を讃嘆す」から「句仏」を名のっています。

生涯2万もの句を残したといわれますが当流として「その名といえばこの句」といわれる有名な句のお軸が掛かっていました。

 

「勿体なや  祖師は紙衣の  九十年」   紙衣=かみこ

 

ああ勿体ない・・・親鸞聖人の生涯はほとんど紙のように粗末な衣で通したことだ・・・(ところが私は・・・?)

 

といったところでしょうか・・・

 

「彰如」さんは足が悪かったようですね。

本堂の脇には「彰如」さんが使用したといわれる禮盤がありました。

 

岡崎別院の真っ隣には岡崎神社がありますが、創建は平安遷都(794年)の頃、「子宝」の神様だそうで女性のお参りが多いと聞きます。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (火曜日, 28 3月 2017 09:11)

    昨日は、すごい積乱雲でしたね。時々 雲の間から
    稲光が見えました。
    今朝も南に雲が見え、ピカピカと光っていました。

    山は気をつけなければいけません。
    スキー場なら雪崩は起きないと思ったのでしょう。
    先日の山も雪で滑りました。
    アイゼンを持って行かなかったのがいけません。
    引き返しました。
    3月の山でも山は冬です。
    装備品にツェルトとありますが、やはり必要かも。

  • #2

    今井一光 (火曜日, 28 3月 2017 19:01)

    ありがとうございます。
    本当に子供たちが事故、事件にあうことは気の毒です。
    大人がしっかりしなくてはならないということですね。
    特に雪山のあの件、人災の匂いがしますね。
    強行した人は反省してもしきれない悔いを残しました。
    「最悪の事を考えて、甘く考えない」は通常の生活の中でも必要な事で
    私もいつもいつも痛い目にあっています。
    わかっていても気が回らないことがありますね。
    たまたま「いのち」にかかわらないような失敗であったことを
    感謝しています。