敏満寺址 胡宮(このみや)神社  青龍山散策

お彼岸ですね。

彼岸の土日には法事が入っていませんが、多数の墓参があります。「法事がない」ということだけでスケジュールに目を通さないこと・・・イケませんでした。

 

昨日からの3連休、勿論ごみ処理場はお休みです。

もしやの降雨も勘案して、こういう場合は木の伐採等、処理場に厄介にならなくてはいけない仕事を控えるのですが、その日は無風でポカポカ陽気。ジャンバー無しで外仕事が進むことは一目瞭然でした。

 

控える理由は何よりも木を切れば3日間はトラックの荷台に置いたままとなって雨が降れば重量が増しますので不経済になるとの算段ですが、天気予報では火曜の午前あたりまでは天気がもちそうな雰囲気。

庫裏の中で燻っているよりはと「お方様」の静止を振り切って本堂正面のソテツの「やっつけ」に入りました。墓参も増えれば花ガラも増えますのでその仕事により水屋のゴミ袋もキレイにできますからね。

 

一家総出でソテツ剪定完了。

荷台には集められた花ガラと伐採材を積み込んでから「今日はおしまい」宣言をして庫裏にて一休みしていると、「お方様」が絶叫。「なにしてくれてんねん!!」です(自分も忘れていたクセに・・・)。

実は昨日土曜の午後から日曜にかけて、檀家さんから軽トラの貸し出し依頼の予約があったのでした。

唖然呆然でしたが、今更「ごめんなさい」とは言えず、泣きの涙で荷台のゴミを降ろしました。

降ろすのはカンタンですが積み込みは辛いですね。まぁシートを敷いて降ろしていますが・・・。

 

また、例によってこの一週間で「石屋さん?」と「植木屋さん?」の恒例「職業当て質問」を受けました。苦笑いして正体を明かしますが10年経ってもまだまだですね。

先般私の先輩ともいえる方(野村家ご縁)の葬儀があったのですが、独り暮らしだったために今は自宅は閉まっています。

それはやむを得ないことです。

そこでお一人で自宅に居られるよりいいかも・・・と本堂の余間の「海の如来様」の尊前にご招待させていただきました。

 

すると昨日は故人のお友達がお参りに来てくださいました。

梯子から降りて話を聞けば東京の深川からだと。

その際、お顔を拝見すれば涙ぽろぽろの姿。故人との深い関わりを想いました。「いつでもどうぞ」と見送りましたが故人の顔の広さをあらためて・・・。

そういえば故人の名は「裕子」さんでした。

 

さて東近江、名神高速多賀SAから敏満寺(現胡宮神社)周辺について記してきましたが、その地の畏敬の地としての発祥は青龍山岩磐(いわくら)と言われています。

ちなみにブログにて敏満寺については 2/19  2/23  2/26 

多賀については1/11  2/17  2/18  と記しています。

 

その岩磐(いわくら)とは日本の古来から伝わる「カミ」信仰「巨石自然崇拝」の一つで「磐座」(いわくら)岩倉等地域によってその名を変えているようです。

当地でいえば掛川の日坂宿の北の「茶」印でお馴染みの粟ケ岳の頂上にある巨石でしょう。あの石は圧巻です。

 

私はそもそも失礼ながらその「岩磐」への興味はありませんが、青龍山頂上へ向かう分岐を逆方向に寄り道してみました。

まぁ人それぞれでしょうが、「スケール」ということだけで記せば粟ケ岳の1/10程度でしょうか。

 

目的は青龍山でしたのでそれもそのお山のうち、あの時は厳寒期でしたが気をとりなおして散策を楽しみました。

高い山でもなく(333m)胡宮神社から案内に沿ってカンタンに登ることができます。

多賀SAに車を置いて1日ゆっくりかけて、帰りに近江牛を食べて帰るのがおすすめです。

 

私は一旦神社境内まで降りてから大回りして山を歩きましたのでかなりの時間をかけました。

最後の画像が名神高速上り線の車両に訴えかける多賀SA手前の看板です(地図)。かなり大回りして下山しました。降り切れば畑のど真中。そのまま元の方向に歩いていくと大門池にられます。

後ろから3つ目と2つめの画像が山頂です。

 

画像①は拙寺境内の今唯一の彩。いつかも記したことがありますが、名前を失念していました。檀家さんに聞いたら「ヒカンザクラ」・・・でした。1年経つときっとまた忘れます。