記憶力脆弱の我が身 迫る末期 西来院築山御前墓

最近私も少々は自覚していますが、当家「御台所」さまはその「症状」を私が顕著にした場合「おい若年性!!」と酷い言葉で罵倒します。

まぁスケジュールはじめ各対外的お約束事多数の当家に於いて

「忘れちゃった」はお話しになりませんから。

 

某ご寺院の檀家さん(実は奥の墓道氏の母方実家の寺です)が話していましたが「住職が法事の時間になっても現れないので携帯にかけたらゴルフ場にいた」などというシャレにならないお話しもありました。

 

以前も「法事の時間が過ぎているがどうなっているんだ」という半ばお怒りの電話を受けたことがありました。その際は一瞬頭の中が真っ白になって心臓がきゅっと縮まる思いでしたがそれは慌てん坊さんによるお寺間違いの電話であって事なきを得ましたが(この件は私にはまったく責めを負う理はありません)

スケジュールはいつもピリピリです。

 

度胸の据わっていない私にはもし上記の如く立場があったとしたらまさにパニックですからね。

 

ということで当家御方さまは、ちょっとした私の物忘れに対して

強烈に怒り狂い、私は叱りつけられることになります。

それがまた私も「なるほど 怒られて当然だろう」というような物忘れを最近ことに頻発するようになったように思います。

 

国会のあのダテ眼鏡のオバハンの「忘れちゃった・・・、ウソつきやした・・・すいやせん・・・」では「すし屋のウソ太郎のコント」の如くで私であれば到底許されないようなことばかり。

国会議員はお気楽です。

 

その法事予定ドタキャンに対する先方様の激怒はカンタンに推することができますね。

法事といえば事前に予定を決めて遠方からの来訪者を期しての開催となりますし、お斎の会場予約もあります。

 

拙寺でも「東」はせいぜい東京どまりですが、「西」はとなると京都・大阪を主に九州、沖縄まで多様です。

もしそのようなチョンボがあったとしたら頭があがりませんし下手をすれば「損害賠償請求」されても文句は言えませんね。

 

人間はそもそもミスばかりして物忘れも齢を重ねればどんどん酷くなる一方、自分というものが如何に怪しいものか、如何に信じられないものかつくづくそしてひしひしと感じさせられています。時としてウソまでついて保身しようとしますから見苦しい。

 

「西方」からの来訪が多いというのは拙寺の宗旨(浄土真宗)にも関係がある?というのはいかにもこじ付けですが、西方浄土への意識は常にある中やはり今の私は生まれ育った小田原よりもこちら遠州相良を中心にした生活に馴染んでいるうえに気持ちもよりそちらから「西へ西へ」です。

 

特に最近は「小田原ジャンバー」なる無茶な小田原行政の弱い者いじめの件を見てあらためて「小田原を去って良かった」とも思っていた次第です。本当にお寒い地域性ですねあそこは。住んだ者にはわかるような気がします。

 

さて、築山御前についてはその墓について以前も記していますが(過去ブログ墓)、本当に最近は忘れっぽくなって「頭の中がひっ散らかっている」とも当家お方さまから指摘されているところ。

 

昨日も太刀洗池の件をブログで記しました。

そうなれば当然にこちら西来院の築山御前の廟(場所はこちら)へと続くつもりでいましたが、果たして私が何時そちらに行ったものかさっぱりわからなくなってしまいました。恐ろしいことです。

それは所蔵画像を持ってくることができないということです。(どちらに入れてあるか不明になります)

 

 

というのも西来院の場所ときたらいわゆる成瀬谷。

当家三代目の父である成瀬藤蔵正義の墓がある宗源院の並びにあるお寺でその付近にはかなりの頻度で伺っていますがこちらのお寺には失礼ながらいつもそのついででふらっと立ち寄る程度だったからです。

特にこちらのお寺への入口は通りに面した門から入りますが、その鉄の門扉は16時近くになるとガッチリ閉まってしまいます。私も2~3度は境内に入れなかった事を思い出します。

 

ということで行ったつもりで行っていないことが多々あって画像の所蔵庫の探索に苦労しました。

 

 

画像は蚊の襲来に散々だったある夏の日の墓域。何とか思い出しました。

築山御前の廟の扁額には「月窟廟」(がっくつびょう)と記されています。廟は昭和二十年に焼失し昭和51年に再建されているようですが、当初その「月」に次ぐ文字が「窓」あるいは「屈」と読まれていたそうで、元の字がハッキリしていなかったようです。

確定されたこの「月窟」は李白の「渇飲月窟水」を根拠にしたといいます。