母と子ではどちらが保護されるべきか・・・
これは夫亡き後の家族の件。
いわゆる民法の規定、「相続」について語られれば現在は「法定相続」という決まりがあります。
「現在は」というのは「民法に沿った」ということであって、その規定のない戦国期の領主等では惣領総取りが当たり前でした。
とはいっても兄弟で分けあったり兄弟がその家督総取りを争ったりと色々なパターンがありました。
尚、分かちあうほどの領地がないにも関わらず多くの兄弟で分割して、家が零落する「愚」を「田分け」と呼んだという説もあるように、「分ける」にも限度というものがあったでしょうね。
しかし古くから「妻」(「女」)というものの地位はあってないようなもの。時として人質であったり、夫が先立てば尼になったり、用ナシとなって実家に帰されたり・・・とにかくその流れに当人が口をはさむ余地はまったくありませんでした。
そんな中「法制審議会」で配偶者相続に新優遇案が出てきました。妻の権利をよりバックアップしようとするもので、「結婚から20年以上」の夫婦で、配偶者が「居住用の建物や土地」の贈与を受ける場合です。贈与した人が死亡し、相続人同士で遺産を分けることになった際に、贈与された住居については「全体の遺産の計算」に含めない・・・というこれまでの(2110万円ルール)をさらに超えた厚い優遇案となっています。
ホントは配偶者の「法定相続」を2/3というルールを審議されていたようですが、今回そちらはパスされて上記のものが浮上したようです。
こちらは「居住用の建物や土地」を配偶者が総取りする権利と言ってもイイかも知れません。あとは他の預貯金等を子供達で法定相続するというカタチですね。
ちなみに法定相続で一番に教わっているところは母と子たちの割合「母1/2の子供達1/2」でした。
これはこれで泥沼の相続争いの発生も想像できますね。
その手の相続の件、私も時に遭遇させていただいています。
私はこの新優遇の中身を見て、特に後妻さんが20年以上夫と暮らして、先妻さんに子が居た場合、これまでとはかなり子供の取り分は消えてしまいますから、ひと騒ぎ起こる可能性も。
どちらにしろ不動産の譲渡には優遇の恩恵を無視できたとしても税金の各種は発生するということも覚悟は必要ですね。
もっともこの不動産に関してはこの地区に限って価格はボロボロに低下していますので、もはや相続しても嬉しくないレベルに成り下がっています。
余程の高額物件でなくては面白くないかも知れませんね。
ただし高額になればそれぞれ別の税額も跳ね上がりますが。
さて先の大河ドラマでは今川氏真の瀬名姫の処遇についてのドタバタ劇でしたが来週は人質交換がまとまって「間一髪の命拾い」(演出)によって瀬名姫と子らは松平元康(家康)の入った岡崎に向かうことになります。
ところが元康(家康)の母の於大の方は瀬名姫を嫌って城外に住まわせています。その屋敷のあった場所が土塁か墳墓(築山)の近くにあったために築山御前と呼ばれたといいます。
そのように嫌われる要素が彼女にあったのかどうかはわかりませんが十分にその「築山」はある意味バカにしたような名であったような気がしてなりません。
先日浜松の富塚町や佐鳴湖に伺った件を記しましたが、この辺りは築山御前が斬られた場所としても有名な地。小藪村と呼ばれますが今は「浜松医療センター」の真ん前(場所はこちら)。
蜆塚や浜松市博物館からスグの場所です。
その命令を下したのが息子信康の嫁、徳姫の父である織田信長でした。
夫の母にいじめられ、嫁の父に咎を受けるなど、結構にかわいそうな人でした。それにしても旦那の家康も少々なさけない。
話は変わりますが「姑息」という言葉がありますね。
「姑息な手段を使いやがって・・・」の「こそく」。
ついこの「築山御前の色々」に想像したくなりがち。「卑怯な」的ニュアンスを受けますが、本来の意は違いました。
「姑」も「息」も時間のこと・・・「間」ですから「一時的な」「間に合わせ」という意味ですね。
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野村幸一 (火曜日, 14 3月 2017 01:49)
ルーツ関連でわかったのですが、私の父方の実家の本家のお墓が浜松の西来院という曹洞宗の寺院だそうで「瀬名姫築山殿」の廟があるそうです。歴史の人物の廟と同じ場所にあると聞いただけで何故かワクワクしてしまいました。私も最近墓場放浪な感じです。ちなみに父の実家のお墓は三方ヶ原合戦の跡地にある市営墓地だそうで(幼少の頃に一度だけ行ったことがあるようです…)ここも歴史の中の場所です。
ルーツ調べをしているくせに墓参を怠けるダメな子孫です。5年前に他界したいと祖母の墓参…行けてません。
今井一光 (火曜日, 14 3月 2017 22:00)
ありがとうございます。西来院にも何度かうろついていますが、たくさんのお墓がありますね。お墓詣りはそれを主に義務感漂う時間とするのはイケませんからのんびりしたスタンスで気が向いた時に行けばいいと思っています。
社会の垢を落とすように息抜きをさせていただくのが寺参りですね。