今の駿府城散策の目玉といえば、本丸天守台の発掘調査の公開です。
今のところ今年度の調査は2月辺りで終了していますので動きはありません。ただし制限はありますが、その発掘現場に立ち入り、見学ができるようになっています。
3か所の有料拝観区域がありますが、それとはまっく別のくくりいわゆるタダです。
ちょっとしたプレハブの資料室的な場所もあってボランティアの解説員さんが詰めていますので面白そうな話も期待できますね。
私がそのエリアをぶらついていると、滋賀県立大学に通っている書生さんと遭遇いたしました。
ボランティアさんに「滋賀は近江八幡から来ました」。
これから三島の「山中城に行きます」と言っていたのを耳をダンボにして聞いていたのですがつい「ホントかよ」という感じで声をかけてしまいました。
息子とは違いまったく私と趣味が合いますし、出身が近江八幡となればあたかも「他人とは思えない」くらいの気持ちになります。
聞けば乗り継ぎ無計画でJR在来線で三島へ向かうとのこと。
城を見学のあとは横浜方面に出たいと言っていましたので「そりゃあリスキー」と声をかけなくてはなるまいとお節介をしてしまいました。
午後1時前の駿府城のことでしたから、厳しさが匂ってきます。
私は相良―小田原間を幾度もなく往復していますから山中城については得意中の得意の場。ただし自家用車でのみのお話です。
概算JR在来線が待ち時間無視して70分。三島駅から一時間に多くて2本の山中城行のバスがありますが、最長三島から60分。調子よく行って静岡駅から130分。
1330に乗車できたとして山中城は4時前になりますね。
彼の場合は横浜がその日の最終目的でしたからそうなると山中城から元箱根にバスで向かい小田原行きバスに乗らなくてはなりません。
とてもではありませんが山中城を60分では見切れませんので日没を迎えることになってそうなればすべてが徒労に終わることは目に見えています。
私はお手軽で徒歩でも行ける「臨済寺」(こちらも)あたり、無理して「興国寺城かな(こちらも)・・・」と余計なアドバイスをして別れました。
さて、天守台復元のための発掘調査は勿論、天守そのものの復元にあります。以前からその辺りについては根拠のない城(観光資源重視、史料館的)のハコ物建築は「どんなもんだろね」と首を傾げて傍観している立場でしたが、既に資金についての根拠が確定したのかどうやら「レッツゴー」がかかって物事が着々と進んでいるご様子です。ということで、「ま、いいか・・・」との諦観含みで顔を出したのでした。
天守台は江戸期に2度の地震によって崩れたり改修したりを繰り返していますが、致命的決定的崩落は、明治期の人為的なもの。
こちらは明治維新の廃仏毀釈とは関係ありませんが、明治29年に陸軍歩兵連隊の設営の為に取り壊されてしまったのでした。
よって天守の根拠、天守台が失われているのですから、寸法も実態も推測の域を出ず、あくまでも推量と他の城を参考にした建物しか出来ようもないというところが、駿府城再建の阿讃臭さだったのでした。これは毎度記していますが相良城の場合と同様です。
現在進行中の発掘調査は天守台の西側一辺ということになりますが、堀の下部まで掘り下げられてそれなりに壮観さを窺うことができました。
地表から1m下あたりから最大で5.6mの石垣が出てその一辺の長さは68mとのこと。推定では15~16mの高さで石垣が積まれ天守台が形成されていたようです。上部石垣の一部は外堀に放り込まれていたようですが、これからどう不足分を集めてデータの無い中に「完成」させるのでしょうか。
これから先が根拠レスの世界になってしまうということです。
②東海道街道図屏風(兵庫県立歴史博物館)
③東海道図屏風(静岡市教育委員会)
絵図はあくまで参考。
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