ドラマはあっという間「永禄三年  1560」 長船

日曜の浜松の法要にて今一つ「ほおっー」と唸ったのは・・・

三方原PAのスマートIC化の件。

私はこちらのPAには滅多に立ち寄ることがなかったためその件について知りませんでしたが、現在工事が進んでいるとのこと。

これまでは浜松市の中心部に向かうには天竜川を渡ってスグの「浜松IC」、龍潭寺方面に向かうには「浜松西IC」の利用でした。

 

先般の富塚町や佐鳴湖の辺りもそうですが浜松駅の西寄りの葬祭場にもお邪魔することもままある私は毎度、「浜松IC」か「浜松西IC」かなどと迷うところで、結局1区間短い手前の「浜松IC」を利用していました。

もっとも最近はケチケチになって浜松駅方面から帰宅するに東進して天竜川をそのまま1号線バイパスを利用しています。

わざわざ北進して東名を利用するまでには至りません。

 

ところがその二つのICのちょうど真ん中あたりにある「三方原PA」がスマートIC化するという件はまさに画期的情報でした。

浜松中心部に一番近いロケーションとなりますのでかなり利便性はあがりますね(場所はこちら)。

オープンは3月半ばの土曜日と聞きます。

 

さて今回の大河ドラマのホームドラマ様には「まぁしょうがない」とは思いますがお話の方が一気に「桶狭間」(永禄三年)に滑り込んでしまったのは少々落胆。

 

私は周辺西遠国人衆の顔触れなどチョイ出しでもよかったので描いていただければ嬉しかったですね。今後に期待はしていますが。

「女の闘い」の演出もストーリーに入れておくのは視聴率upには必要ではありますが「遠州錯乱」状況のベースを紹介していただければ歴史好きには納得がいくところです。

 

前回は今川氏真に「元康の戦いぶりはスゴイ」と突っ込まれた松平元康(徳川家康)が「朝比奈様には(かないません)」風の皮肉ともとれる慇懃風「前振り伏線」の台詞はありましたが・・・。

朝比奈泰朝は・・・いやいやこれを記すと番組がつまらなくなりますので控えましょう。

私は特に頭陀寺の松下家に仕えていた若き日の木下藤吉郎の存在に触れていただきたかったですね。

というか、井伊直虎が大河ドラマ採用が決まった時に、「まず出てくるだろう、いや出ないワケがない」とまで思ったものでした。

何せあの秀吉の下っ端時代、まだ尾張の信長の元に行く前のお話ですから。

ところが「永禄三年」ではもうとっくに藤吉郎は信長の元でそろそろ草履取からは出世している頃ですからね。

 

「桶狭間」は今川家は勿論、信康にもまた井伊家にも絶大な「変化」をもたらす機縁となりますから、どなた様でもその年「永禄三1560」は頭に残っているところ大でしょうが、私ども当家にとって藤蔵正義の亡くなった三方原(元亀三1572)と続くその前元号の「三」つながりであることもあってご縁の深い年です。

 

それは当家今井所有の「長船」に刻印された年号が「永禄三年」だからです。

番組では今川より井伊方に「槍を200本用意せよ」とありました(ちなみに「一番槍」という戦働きの手柄を表す言葉がありますが通常「槍持ちは先方」~最前線~と決まっています・・・リスキーな配置)。

 

その年に作られたのが「アレです!!」と自慢げに「当家北の方」に説明したものの、いたってそっけなく「ふん・・・」と鼻息で応えただけでした。

 

女というものは刀剣など興味ないのか・・・とはそこでは諦めますが、実際の「刀剣女子」なる動向は凄いとも聞きます。

島田市博物館で開催中の刀剣展にはその手の女子が大挙しているというニュースがありましたね。

 

尚、銘の白色は「徳川家臣団・・・」撮影用に静岡新聞社出版の方がチョークを使用したものです。刀剣詳細はまたいずれ・・・