見落としがちのモニュメント  六角定頼の像

相対的貧困(月収20万円以下)家庭の子供が6人に一人という実態調査。

大河ドラマに続けての21時からのNHKの番組を視聴しました。

 

大河は「小和田先生の考証」とピンとくるようなセリフがあってニヤけながらです。

特に今川館。婚期が遅れている瀬名姫が他の姫さまたちに弄られているシーンですが名家の嫁ぎ先候補について「岡部様」「福島様」(放送では「くしま」)と耳にしました。

 

こういう時に「字幕放送にしておけばよかった」と後悔するのですが、もし「くしま」「福島」だとすると・・・福島氏といえばは謎の一族で小笠原一統が馬伏塚城から高天神に入る前に高天神城主であって、花倉の乱で駿府から追われています。

もし駿府居残り組としてもこの会話はやはり瀬名姫が「からかわれていた」ということがわかります。

岡部元信の場合は今川家屈指の武辺勇壮の武将ですが、あまりにも野卑でごつい感があったのかも知れません。そんな雰囲気漂う、2人の名の引用でした。

 

また瀬名姫と松平元信(家康)、氏真の3者同座のシーンは伏線も織り込まれて面白く仕上がっています、

歴史上、家康と氏真の関係は結果から言えばその武士としての力量に100対1ほどの開きがあってここはなかなかピンと(家康が阿呆に見える演出)きませんが、ホントは今川惣領の若様と「三河の田舎大名の人質」の年の差は5歳もありました(氏真の方が年上)。

 

鷹狩好きの家康が雀を飼っている様子、瀬名姫に罵倒されていましたが、これも伏線、これからあの有名な孕石元泰の「三州の倅には飽きれ果てたと」の談が出てくるかも知れません(またはこちら)。

 

大河の次の番組にて・・・また「剥奪指標」なる言葉を知りましたが、本来であるならば与えられるべき子供のあるいは子供らしい各種の「要求」とその「我慢」を数値化したもののようです。

 

上記貧困度1の子供で医療機関への受診で7.7%もの「我慢」。

新しい服や靴で7.6、運動用具28%で部活の参加もできないとのこと。本を買ってもらったことがない29%、家族旅行行ったことない46%、誕生日祝いに学校行事への不参加となるとなんと平均の10倍になる我慢だそうです。

 

家族全員(まず母子家庭+兄弟+祖母)で「食費1日1000円」で賄うことになりかつ、高校生ともなると家計のために働きづめとなるので自己の欲求や時間を家庭のために犠牲としている若者たちの姿を見せつけられました。冒頭ブロッコリー+白米の夕食は驚かされました。

 

「輝かしい日本」を吹聴する高慢社会の裏を見た思いです。「オリンピックなんてクソ喰らえ」のような声が聞こえていました。相対貧困率世界第4位という「輝かしい」順位をも頂戴している我が国です。

 

昨日檀家さんに「面白かった」と指摘された「銀骨の御文」を眺めて(アップしたことさえ忘れていましたが)「なるほどね」と思った次第です

ただしお昼に1000円超えのランチを御馳走になって舌づづみを打つ私が偉そうな事を言えませんね。

 

さて、「鈎の陣」について2日間記しました。

あのバカでかい観音寺城のある繖山の麓に六角定頼の銅像があります(場所はこちら)。

鈎の陣で城を捨てた六角高頼の息子です。

定頼は兄が惣領として家督を継いだため、京都相国寺の僧籍に入りますが、兄の死にともなって急遽家督を相続した人です。

大河ドラマでも今しきりに「還俗」がテーマになっていましたね。「寺から戻る」は当たり前の如くよくあること。

 

「信長が始めた」と教科書ではそう教わったような気がする「楽市楽座」は実はこの六角定頼が始めたといいますね。

今やそれは信長のパクリというのが正解でしょう。

定頼が六角氏の全盛時代を築いたということがこちらに銅像が建立されたという理由とみるべきでしょうか。

 

ただし、この像はあまり観光用に「見せる」といった意図を感じませんね。

あまり大きくもなく地味げに見えるその姿を拝める場所は「きぬがさ山トンネル」の五箇荘側入出路のトンネルの維持施設敷地にあって、駐車スペースの一つもありません。

 

よってトンネルを通過する人がたまたま左手に目にするか、その像を目標にして向かったとしても後続車が「高速」で迫る中、そのままトンネルを通過しなくてはならないくらいの場所です。

 

この銅像にお目にかかるためには、自家用車は手前にある公園駐車場に駐めて、徒歩で向かわなくてはなりません。

そこのところ今一つ名所になれない名所なのです。

折角の渋い銅像も勿体ない。

 

①②は近くの石馬寺の参道入口付近。➂はそちらから見た繖山と麓のトンネル管理棟。こちらに定頼の像があります。