寺にとって思いがけぬ災難ベスト3は・・・   建穂寺

ついに母親がお世話になっている施設、それも同じブロックの方がインフルエンザに発症したとの報せ。

その方は自室に隔離されているそうですが、部屋に加湿器の設置を義務付けられました。

面会は謝絶状態で外部の出入りをシャットアウトしていますが、昨日はその機器を窓口に届けて設置をお願いしてきました。

あと数日はかなりの寒さと乾燥が続きますが終末の降雨以降は少しづつ暖かくなるようです。

 

昨年末に清水のフェルケール博物館に行ったことを記しました。(財)伊豆屋伝八文化振興財団、略して伊伝財団の手がけた修復済の文化財展でした。

そちらにも建穂寺の阿弥陀仏について記していましたが、昨日の「建穂」行脚ブログは実は今はなき建穂寺跡に一つだけ残る観音堂が目標でした。

博物館でお会いした、まるで「トランプ?」と思わせる印を結ぶ阿弥陀さんの座像に再会するためですね。

 

展示会は「出張」での姿、本来の阿弥陀さんの姿はこちらです。

しかしこの観音堂に訪れて驚かされました。

⑩の「建穂観音堂の仏像」リストの通り、あの狭いお堂のガラスケースの中に仏像たちは目白押し。

どれもこれも古い仏像だらけで痛みも相当激しいものがあります。千手観音像など欠損と剥離が酷いですね。

 

おそらくあの阿弥陀さん他数点を今回はピックアップして修理されたのでしょうが、こちらの仏像たちすべてに行き届くよう修理の手を入れるとなればいったいどのくらいの期日がかかるのでしょうか。財団が手を伸ばさなければ一切合切放置の憂き目になったのでしょうね。

 

何故こんなことになってしまったのか・・・。

表記、寺の災難(地震・雷・火事除く人災- -オヤジ?)のベスト1は何といっても応仁文明の乱はじめ、戦乱というドサクサです。

世の中でその戦乱によって炎上、破壊された寺の数は夥しいものとなるでしょう。

ベスト2は織田信長による各宗弾圧に伴う焼き討ちです。比叡山に湖東三山等々・・・彼の場合も挙げていればキリがありません。

 

そして3番目。それが明治維新、廃仏毀釈。

衆愚扇動による寺の打ち壊しですね。

 

この3災難のうち現代に最も近い明治時代に一時的とはいえ「廃仏」の政府指令は1300年以上続く歴史の深い建穂寺を「一夜」のうちにぶち壊してしまったのでした。

寺の案内板の通り、駿府における寺院の中で大御所家康の保護を受けるなど大きな伽藍に塔頭寺院の多さが思われ、大寺院であったことが偲ばれます。

昨日記した建穂神社辺りにかけての山すそには多くの寺院があったようです。最後の画像は観音堂周辺にゴロゴロと転がっている堂宇基盤。

 

観音堂にはたくさんの仏像がありますが、破壊され、流出盗難にあった仏像は数多のよう。

まぁそのように流浪した仏像というものは今頃は逆に寺院等の保護下にあるのでしょうが。散乱無管理状態があったのです。

 

ちなみにこの観音堂管理の形態はまったく異色です。

「建穂町内会」ということですね。

限られた有志による懇意によって維持されています。

私のブログはいともカンタンに見たようなイメージを抱かせますが現地警備は厳重になっています。通常は施錠されて防犯カメラ+異常にはアラームが発報します。

地元の方に依頼して開錠していただきガラス越の撮影でした。

 

背後の山へ途中まで上ってみましたが斜面が急で諦めました。

 

それにしても昨晩放映の今井信郎の件、東大の先生の御説は突飛すぎ。コジ付的な誘導結論でした。そもそも「西郷」が背後にいて糸をひいた説は今井実行説の際にも出ている名です。

 

そして画像提供の件、撮影者は私ですが、所有者は違いますよ。

番組のニュアンスでは今井はまるで犯罪者呼ばわりで少々違和感。

何より「私ども」今井の出自は近江であり今井信郎とは違います。くれぐれも勘違いして「逆恨み」されませぬよう。

 

ただしこれだけは記したいところですが、当時の竜馬は幕府側からすれば殺人犯。下手人、手配人です。

今井信郎は京都見廻組だからいわゆる警察官。

「警察権者が殺人犯下手人を斬った」ということ。これは厳然とした事実です。

変てこな「竜馬バブル」(東大の先生の談)によって膨らんだイメージでの竜馬ファンが多いことも事実ですね。

小生は明治維新大嫌いの佐幕派?ですので今井信郎に肩を持つところはお許しください。