新野の資料館は鈴木東洋先生宅(診療所)だった

御前崎池新田の叔母をまだ転居後の母に会わせていなかったことと、「極寒」もひと段落したの(無風)?と思わせる好天に午前中に池新田へ。

勿論ついでに新野を回ってです。

昨日記しましたように前週末、新野に「新野左馬助資料館」が開設されたという報道がありました。

 

興味としてはあの新野のいったいどこにそのような施設ができる余地(ハコ・財務・人含む)があるのか、ただそれだけでした。ぶっつけ新野地区に向かえばカンタンに見つけることはできるだろうと踏んで気軽に考えてバス通りから進入すれば少々地味ではありましたがスグにその案内板を見つけることができました(場所はここ)。

 

駐車場は併設されていませんので適当に停めて(実際は少々離れたところにあるようです)叔母を連れて入ってみればそちらはなんとあの鈴木東洋先生の医院件邸宅でした。

これで立地の謎が解けましたが大いに驚かされました。

先生が新野に開業する名医であり、左馬武神社の修復事業から新野左馬助公顕彰会会長、何より「静岡古城研究会会長」として駿遠その世界ではその名を知らぬ人はないというくらいの方であることは存じ上げていましたがそれでいて私はこれまで先生の医院所在地は知りませんでした。

叔母に聞けば浜岡では丸尾医院とともに有名な先生だと言っていました(先生が逝去された際の古城研究会のサイト)。

 

医院の場所は新野四城のうち北側の小笠方面を塞ぐ釜原城の南面登城口にあって高橋城(天ケ谷城平 こちらも)の裾という立地です。何度も何度もこの辺りを通行していましたが、ちょっとした盲点になるような場所で気づきませんでした。

 

左馬助の墓(神社)ともごく近いこともあって新野左馬助への思いが医師という仕事の傍らに中世史世界へ半身を入れていった経緯がうかがわれるような気がします。

 

私としては先生の邸宅件医療の現場という方にむしろ興味がいってしまいました。

詰めている方たちはすべて地元ボランティアのみなさん。

私が「いつからやってるの?」とすっとんきょに聞けば「実質今日がオープン」とのこと。

日曜日にオープニングセレモニーが開催され(御前崎市のお歴々と大河ドラマの新野左馬助役の俳優さんを招いたそうです)、昨日月曜が休館日、実質その日から客を入れたとのことでした。

 

よく見ると入館の記念にもらった栞に「18番目の入場者」(⑥画像)と記されていました。

「阿弥陀仏の十八願」を思い起こし、「こいつは春から縁起がいいわい」(三人吉三廓初買)・・・南無阿弥陀仏 ナイスなタイミングで今日は十八日。ただし真宗門徒は縁起担ぎはしませんね。

野暮な事を記しますが入場料は無料です。

 

ボランティアの方が仰っていましたが、昨年から近くの釜原城を整備し、あのぼうぼうの茶畑を刈ったりして桜を植えたとのこと。今度それを確認にあがってみようと思います。

 

帰りはそのまま舟ケ谷城八幡平城(またはこちら)を横目に原(この地区は舌状台地上を「原」と呼びます)に上がって菅山経由で相良に。

富士山がハッキリ姿を現していました。

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コメント: 2
  • #1

    河東村出身者 (水曜日, 18 1月 2017 08:08)

    恐縮ですが看板の写真を一枚拝借してgoogle mapに申請させて頂きました。

    鈴木先生の父上は提城の近くのご出身だったのですね。


    PS.忘れておりましたが今年もよろしくお願いします。

  • #2

    今井一光 (水曜日, 18 1月 2017 08:20)

    ありがとうございます。
    先生には跡継ぎがいらっしゃらなかったようで、そこのところも残念でした。
    画像は各使用していただければありがたいことです。