大河ドラマ、開始から二週目が終わりました。
ビデオリサーチ社によれば初回視聴率が16.9%ということで、出足から見れば最近の戦国時代をテーマとする大河からすると最低の水準でした(真田丸19.9 官兵衛18.9 江21.7)。
日本史上マイナー主人公とあって少々苦戦の出だしでしょう。
しかし、ちょっとした演出の違いなのでしょう、歴史考証の妙というものを感じましたので記させていただきます。
小和田哲男先生贔屓を差っ引いたとしても、私には特に面白い台詞だと思いました。
ドラマ進行上のキーマンとなったりドラマに色を着ける人物は各設定されるものです。
たとえば前回の真田丸でいえば「佐助」などがそうでしょう。
しかしそもそもそのような人物は後世の創作ですから、本当のところをいえば、「フィクション」ですね。
架空の人物を登場させてドラマ進行の術とするというやり方です。私はそのようなシャレ的マンガ的演出は好きではないということはどこかで記したと思います。突飛で受け入れがたいところです。
今回の大河でのそのドラマのキーマンとなる人が前週の大河にて強烈ないでたちとキャラで登場しました。
ムロツヨシ氏扮する「瀬戸方久」です。
あの恰好はある意味私たち世代には「懐かしさ」をも感じますね。現在では見かけることはなくなりましたが、半世紀近く前にはお目にかかったものです。
僧籍にはない乞食(こつじき)を歩む人、ひたすら人々の布施に頼る人です。たしかにあのいでたちでしたね。
その瀬戸方久なる人物は実在した人物であるというのがスジで(子孫がいる)そのうえ井伊の歴史を語るうえでいわばキーマンになりうる人物なのです。
かなりインパクトのある恰好とあの役者の採用も案外ベストな組み合わせだったのかも知れません。
ただし、彼の出自は「乞食」のようなものだったというのは不詳ですね。
彼のあの出現に関して中世戦国史上欠かすことができない、「民(領民)と統治者、商人との関わり」を表す意味で、その試みとして歴史好きの私としては「ほう、なるほどね」とその意義をも推測したわけです。
まぁ前回ストーリーで彼が褒美にもらった「銭」が伏線になってこれから彼がそれを元手にうまいこと立ち回り武士そして大商人に出世していき、今後氏真による難癖「徳政令強要」、家康の遠江侵攻に際しての重要な役回りとなっていくのでしょう。
彼の役は「のらりくらりと調子よくコロコロのお調子者」という立ち回りとなるところですから、あの役者はまさにうってつけかも知れませんね。
さて、瀬戸方久は史実では井伊家と並んでの「有徳人」でもあります。寺院スポンサーとして寄進者の名に登場するほどですから。
この「有徳人」に関しては当ブログでも頻出の寺院スポンサー形態として記していますが、大きい意味では「お金持ちで喜捨、布施する長者」です。
室町期の「もともと身分の低い成り上がりの金持ち」というイメージもありますが、そのあたりも意識してあのドラマのような登場としたのでしょう。
そしてもう一つ。
彼が登場の際、自分の事を「どうのこうの」との台詞がありましたことを思い出してください。
「浮浪人、流れ者としてこの村に囲われて喰わせてもらっている。その代わりにいざ村同士の争いがあった時に差し出される」の如くでした。
それが表記の「解死人」ですね。
今では「江戸の捕り物」系のドラマ等で耳に馴染んだ「下手人」(げしゅにん)の方が分かりやすいとは思いますがその語はもともと中世ではその「解死人」(げしにん)が本来の語。
仮屋に居住させた浮浪人は乞食として養われて村に課せられた都への「夫役」(人的な賦課)として確保される「身代わり」「人身御供」にするという歴史がありました。
これはいわゆる「ものくさ太郎」(御伽草子)が示唆しているともいいます。
ムロ氏の瀬戸方久が語ったものはそれとは少々異にする「身代わり」のことで、当時は普通にあった村同士のいざこざ事案、暴力事件、殺傷事案の解決のための身代わりのことですね(「解死人」)。
特に水利や材木、薪等の利権に関わる争いは隣同士の村で頻繁に発生していたといいます。
その争いの中で発生した事件を収拾させるのも統治者の管理下では当然の差配でありますが、秀吉の統一以後の「刀狩り」から喧嘩を御法度とした「秀吉喧嘩停止令」(・・・「郷中にて、百姓等、山問答・水問答につき、弓・鑓・鉄砲にて、互いに喧嘩いたし候者あらば、その一郷を成敗いたすべき事」)を見るまでは「村の対立」についてはあたりまえのように黙認されていたようです。
統治者は陳情によって解決策を提示しますが、政的差配よりも大抵は被害者グループへの加害者グループへの「贖罪」を求めることになるのが常です。
ということで、イザというときにそれまで囲って面倒を見ていた「乞食」を相手方に提出するのでした。それが「解死人」ですね。
この解死人提出システムは非常に差別的ではありますが、相互の村が限りなく紛争を継続し相互に疲弊することを防ぐ意味で画期的なものだったのです。
その時のルールとしてはその「解死人」はまったく「真犯人」でなくてイイという今では考えられないものであったというのが特筆点です。
相手としてはその者を煮て食おうが焼いて食おうがまったく勝手ですが、形式的に謝罪というけじめはついたということから無罪放免や再びその村の「解死人」として養なわれたりすることもあったようです。
また死罪としての身代わりが確定的になる場合、その「解死人」家族を未来に渡って村で養うことを誓ったり、子供に苗字の名乗りを許したりしてその「死」の代償ともしたようです。
あの場面ではそれらの隠れた歴史を彼の台詞として語られたということで、なかなか表に出てこないその感覚をドラマで触れるというところがイイ意味で「違う」と唸らせるところでした。
また、小和田哲男氏監修 「徳川家臣団子孫たちの証言」でお世話になった林信志氏が先般「大河に藤蔵(成瀬正義)が出たりして・・・」と仰っていましたが、それはそれはまぁ「微か」ではありますがあり得るかもしれませんね。
家康が遠州侵入の際、直虎が虎松(直政)を引き合わせるシーンあたりに家康が「藤蔵、誰(たれ)ぞ・・・?」など・・・無理ですね。
画像は直虎ロケ地の渭伊神社磐座遺跡①②と高根城③。
高根城は便が悪いですが最高のロケーションです。
井伊の城とはまったく違う風景が楽しめます。
そろそろ行ってみてもイイかも。
ちなみに昨夜放映されていた民放のドラマ、たまたま「顕如様」の台詞でチャンネルをとめましたが、映っていた安土城らしき城はたしか彦根城とCGでしたね。おカネはかかっていそうですが、そのお話にはついていけませんでした。
彦根城は井伊家の江戸時代の城ですね。
④はNHK静岡版ですが、「大河ドラマ館」オープンの報道。
視聴率のテコ入れは必要ですね。
ただし入館料600円は私には無理です。お高うございます。
ちなみに最近オープンしたという新野の左馬助館は無料とききますね。
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