私が「3℃の寒さ」と降雪の気配に近江から逃げ帰ってきてからというもの予想通り(私を追いかけるが如く)寒波が流れ込んで、ここ遠州でも酷い寒さとなりました。
遠州独特のあのカラっ風がないのにもかかわらず「カチっとした厳寒」を感じます。
昨日は午後から寒暖計はあの「3℃」を示して霙交じりとなりあっという間に1℃まで急降下。
昼間は温室のヒーターを停めていますのでヤバイと思い出して慌ててスイッチをONしました。
5℃割ってはいけないという植物ばかりを抱えていますので、春にかけて心配の種が増えます。
私自身も年初からの風邪の完治にはいたっていないせいか寒さに耐えかねて夕方から布団の中に潜り込みました。
熱めの風呂に長湯してなんとか復活させました。
人それぞれ「不調」への対応の仕方というものがありましょうが、私はまず「風呂」ですね。
健康には足湯だの半身浴などが言われていますがそんなお上品なことはやっていられません。
風呂の中にドカッと頭から潜り、息を止めて浸かれば思いっきりホットになることができます。
「奥の墓道氏」も風邪で絶不調という報せを受けましたが、インフルエンザが流行しているようです。
昨晩はNHKのパンデミックの特集を見ました。
私は未知なるウィルス、突然変異するウィルスの存在よりも「都会にいること」のリスクを感じてしまいました。
少し前、私が風邪に至る環境は決まって「法事の後」と記しましたが、それは多数の人と同座するということですね。
都会の混雑はその比ではありませんから。
パンデミックは絶対に起こるとのことですが、そうなるとしたら、田舎に潜んでいた方が助かる可能性は高いでしょうね。
感染症たるが由縁、人(時に動物)と接しなければ罹患しないのですから。
さて、先月末湖東三山のうち最後に行った西明寺の「血の紅葉」について記しました(場所はここ)があのお寺には欠損の見られないいたって美形の宝塔があります。
あの川勝政太郎氏の表現を使用すれば「すきのない美しさ」とあります。
それにしても湖東三山すべて本堂域の隅には必ずといって一基の石塔がありました。何かの法則の如くです。
花崗岩製で215cm「嘉元二年(1304)」の作。
製作者の名が「平景吉」とあります。
川勝氏の評価
壇四方の格狭間の開蓮華浮彫。
塔身の四方に「扉形」の彫。
上部に縁板状の円形作り出し+首部。
笠の隅棟作り出し、笠裏に二重の垂木型の刻出。
このようにすべての部分が建築工芸的に作られている。
「鎌倉後期の完成された形式」と絶賛の宝塔です。
銘文は現在判読不可。「奉造立如法経塔」にはじまり先師と二親の菩提・・・の件が記されているといいます。
700余年も前の「子が親や先達の縁を尊ぶ」完全に保存された姿を拝することができます。
たくさんの人出がありましたが、この宝塔に張り付いて下から横から舐めるように見まわしているのは私一人だけでした。
もっとも三重塔という大きな建造物の裏の高台にあってさして目立たないというところにありますが・・・。
④の石塔婆(165cm)はさりげなく立っていますが製作年は元応二年1320年と西明寺創建と同期。尚ベースに格狭間が見えますがなんとなくくっつけた?他の宝篋印塔もの。
以下早朝の京都。愚息が送ってきた部屋の外の様子です。
昨日相良で雪交じりになった段階で「そっちの様子は?」と聞いた際に送ってきたのが部屋の窓から、下の①です。
ところが夜が明けると「こんなになっていた」と。
「取材せよ」と命じましたが「冗談じゃない 外には出たくない」と。
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