姓氏の基本、代表的な「源平藤橘」という語がありますがとりわけ「藤」付きの姓は抜きんでて多くて、その「〇藤」さんも「藤〇」さんもまずは出自を「藤原氏」というのが定番のようです。ましてや「藤」ナシであってもご先祖は「藤原氏」といっておけばだいたいそんなものですね。源氏や平氏というよりも説得力?がありますね。
どこかしらで繋がっていることは間違いないといってもイイでしょうからそのようなものです。これは家系図屋さんが示すパターンです。すると天皇家まで遡ることができますので、そうなれば日本人すべて皇室ということになりましょう。
ただ確証がないだけですね。
しかし井伊谷三人衆のうちの「近藤」、宇利城に入って武田方を防いだといわれる近藤一流は一説に「近江の藤原」からの名のりといわれています。
私などの単細胞人間としては「おお!」などと感動してしまうほどのうまい話ですね。嘘かホントか近江好きの私としては親近感が湧きますね。
特に井伊近藤家は封建時代の「家」主体にその存在意義を模索する惣領と庶子という概念を壊して「田分け」「分家」を認めた鷹揚さは素晴らしいことだと思います。
故に「近藤」という大大名は無かったのですが、分流は多く広がって子孫の多さという点では価値ある方向性だったと思います。近藤姓が比較的広く残った理由かも知れません。
さて、以前冬場に奥山から富幕山経由で林道を抜けて千頭峯城に向かいました。
その辺りがみかんで有名な三ケ日です。
三ケ日に大谷という地名がありますが「五家近藤」の一つの気賀近藤家から出た近藤用行がさらに分家して知行しました。
そちらが大谷近藤家の初代ですね。
千頭峯城の西側に位置する摩訶耶寺は真言宗の古刹(場所はここ)ですがこちらにも円墳上夫婦墓があります。
近藤用行夫妻のもので、こちらも復元墳墓だそうです。
江戸期の五輪塔は昨日のものもそうでしたが頭でっかちで格好の悪い事このうえありませんね。庭がウリのお寺です。
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