宗旨別信者数算出について思う  真宗大谷派突出

糸魚川大火のその後の報道を見て、これもまたやるせないことと思わされたのが「行方知れずとなったペット」の件。

たまたま見た報道ではグレーの猫が映っていました。

拙寺の者どもと同色で同じような顔をしていました。

 

飼い主はこうなることなど思いもせずにとりあえず家を後にしたそうですが、帰ってみれば跡形なく全焼していたといいます。

「ひざの上に乗ってきた云々・・・」の言葉に飼い主の思いが伝わっていて何とも言えぬ不機嫌に襲われました。

 

ペットをペットと思うなかれ・・・、現代社会において今や彼らは家族の一員ですね。

ペット産業という言葉も幅を利かせ業界も多様に展開し大繁盛の様。

その陰で過酷な扱いを受けるその者たちの存在もあって考えさせられるところ多々あります。

 

既報の通り拙寺ではペット墓を作っておりましたがこのほどそのお墓、「生々流転墓」への初めての納骨法要を行いました。

名前は柴犬の福ちゃんでした。

 

家族子供たちが大勢集まってまず本堂にてご一緒に正信偈を拝読。福ちゃんがつくってくれた機縁、正信偈拝読の会ですね。

これは「ペットビジネス」に便乗してというものではありませんし私の本意ではありません。

ペットなれど最大限に家族に愛され続けた一つの命をご縁として仏法を頂く会ですね。

 

ちなみにぺット納骨法要は1000円の懇志御依頼(檀家さん)と決定(世話人会了承済)しています。

私の方も空いた時間の余裕部分にて勤修させていただいておりますし参列者もラフな格好で気楽感があります。

事前に写真を提供いただいて画像の如くになりました。

逆に皆さんの涙を誘うことになりますが・・・。

 

さて昨日、産経新聞のネット版で「宗教年鑑の信者数の信頼性は?」という表題が目に飛び込んできました。

私ども真宗大谷派の「信者数」というものが320万人→792万人と増えたといいう記事です。統計的にありえない数字のギャップですね。

「仏教系教団信者数」というものの6位から2位に上昇したということですがこれはただの「算出方法の違い」からの変化ですね。それだけ「無意味」ということのご本山のアピールかもしれません。

 

江戸期でいえばキリシタンを排除するために「宗門改帳」という台帳管理をしていましたが江戸中期以降ともなると殆どキリシタンは排除されたために、検地帳にリンクする人別帳が統合されて宗門人別改帳に統合されます。

寺に役所の窓口をさせて租税の取りっぱぐれのないよう管理(寺請制度・・・檀家制度)させたもので、それが今でいう「檀家さん」の語源です。

 

坊さんが偉そうにしていると思われたりそう伝承されたりし、廃仏毀釈の民衆蜂起によって寺が滅茶苦茶に壊されたりしたのは、その制度の上に立って、どうこうと悪徳代官まがいの嫌がらせや我が物顔での振舞があったという一面もあるのでは・・・とも言われていますね。

 

まあ宗門人別改帳の主旨とは違いますが、この真宗大谷派(東本願寺)の「急なる突出事案」について末端の寺の坊主から諸処思うことがあります。

 

そもそもこの文化庁の発行する宗教年鑑に掲載するデータの無意味を思いますね。

本山もそこのところを当に承知していて、どうでもイイような根拠レスの計算式によっていわゆる過少に申告していたのだと思います。

ついついああいう羅列を下世話的に見て「宗旨別強勢ランキング」の如く捉えがちになるきらいにある中、「そんなことはどうでもイイ」レベルでのおつきあい申告をしていたのでしょう。

 

なぜに「どうでもイイ」と表現したかといえば、各宗派によってその数値計上の方法が違うからで、一緒くたにそれを並べたとしても無意味であるということです。

要は自己申告であるから「どうでもイイ」というのもそもそもお上の意図なのでした。やらなくてもイイことなのですね。

また普通に考えて、本願寺派と大谷派にそれだけの格差があるとは思っていませんでしたし。

誰もまともに信じていなかった数字でした。

 

ところがなぜにここでご本山がマジになってあの数字をあげてきたかというと・・・

ここからは推測ですが・・・

今のその宗旨の信者数を出すことは末寺に対する本山のそれに対するヤル気、意思表示なのかも知れません。

 

宗門人別帳が租税台帳として使用したのはかつてはお上でしたが、今やその末寺檀信徒数値は本山御依頼金(茗荷金)・・・ぶっちゃけ民間企業各支店が本社に納めるフランチャイズ料、看板代などと言ったら怒られましょうが、末寺申告の檀家数はその上納の金額設定の基本台帳となります。

 

なるほど、末寺は本山を支えるためにあることは確かです。

その金額によっては本山維持に支障がでることもありましょう。大いに理解しております。

 

ただしその数値計算式の捉え方が各寺、各組によってまちまちであって「スタンダード」というものがないのです。

要は極論を言えば申告を実際より少なく提出すれば金額は低くて済むということです。

自分で手心を加えることがまかり通ってそれぞれが勝手な数値を記したりまたはバカ真面目(意図をくんで大目に)に提出すれば不公平きわまりないことになりかねません。

 

来年春には門徒数調査票が各寺院に回ってきます。

その記入を行うに際し各寺院「この数字」を目標に計上して本山を盛り立ててほしいという意図にもみえてきます。

 

ただし今まったく現実的数字を計上している拙寺がその2.5倍に檀家数を計上するとすれば・・・たとえば拙寺では息子の1年分の学費と生活費がすっ飛びますね。

先祖伝来などこだわらずお寺をたたんで沖縄にでも渡りサトウキビ農家の手伝いをして暮らした方がどれほど気がラクか。

 

果たしてそこの不公平部分にメスを入れてすべてに了解を得ることができるのか・・・これからもくすぶっているテーマです。

末寺は潰してでも本山を守ろうという意思は石山本願寺に命がけ生き抜いた初代の意思でもありますが・・・

極論に極論をぶつける乱暴な私の意見でしたがちょっとばかり考えさせられるニュース記事でした。

 

ちなみに除夕鐘記事に関しては産経新聞にも載っていました。

日本全国で各放送があったようです。しかし大晦日に来てくれた方がうれしい・・・

①は葉を落としたメタセコイア②ジョウビタキと本堂。

④モニター2か所から。

 

除夕鐘は大晦日お昼12時より。

どなたさまでも遊びにきてください。

尚駐車場は波津コミュニティセンターか小堤山公園へ。