昨夕、小雨の当地の静寂を破ったのは消防車のサイレン。
拙寺の北側の空が赤く焦げ、風に乗った焦げた匂いが漂っていました。
現場は相良高校グラウンドの脇で、以前「栄町クロスロード」で記した踏切址の先です。
この辺りは檀家さんの家が点在していますので、地元事情通の奥様に携帯電話で連絡すると・・・まさにその方は現場にいて実況中継の如くとなりました。現場の喧騒が聞こえてきて、緊迫感が漂う中「ホースからの水の勢いがなくて隣の家に火が移った」
とまで。
檀家さんのお家ではなかったようですが、「火事」は他人事ではありません。寒い時期であり家を失うということほど心細いことはありませんね。せめてこの火事が人命に関わらない事案であることを念ずるばかりです。
さて湖東三山の金剛輪寺(松尾寺)には私は事前情報が殆どないまま「ひょい」という具合に寄ったのですが、そこでの出遭いの1つにやはり「感動」といっていいものがありました。
一見したところこちらの参道を上がっていれば新製造の地蔵がズラっと並べられた状況から、個人的に考えてあまり面白い景色ではないということもあって、さして期待をせずにいました。
余計な事を記せばお怒りになる方もおられるかも知れませんが、この手のものの整列は「壮観さ」というものはありますが、あくまでも「新造」であることと、そして「演出」を推してしまうのです。このタイプの「企画」(それは主催者自由)は案外大寺社等に多くあって、参拝者に鳥居や塔婆を喜捨、寄進の対価として建ててもらってその重ねた数で圧巻を演出かつ観光の名所としようという試みですね。
鳥居では伏見稲荷ほか、塔婆では伊勢朝熊山の金剛證寺を思い出します。そのような運営方針にケチをつけるつもりは毛頭ありませんが、一応・・・。
私はこのお地蔵さんの整列を見て世の中の皆さんが道路脇にあるそれら石造石仏をいっしよくたにひっくるめて「地蔵」と呼ぶ傾向に首を傾げているいるところです。五輪塔の類まで「地蔵」の中に埋もれてそう呼んでいるきらいもありますね。
地蔵は地蔵菩薩、他に多いのが阿弥陀さん、その他遠州の道端に多いのが観音さんでも馬頭観音等々多種多様です。
昨日記した清水寺の石仏たちを、また一言で「地蔵」と記した看板等も目にしました。
些末な事でしょうが私としてはそれらをいっしょくたにするならば「石仏」と表現していただきたいのでした。
やはりお地蔵さんというものは概して製造が新しいということもありますが。
さて、金剛輪寺の阿弥陀さんに戻ります。
地蔵たちの並べられた参道を上がっていくと、左側に唐突に2文字「石仏」と記された看板が目に入ります。
私はその語には身も心も即反応するようになっているのか同行者に声も掛けずに即左折したというワケです。
そちらで出会ったのがこの阿弥陀さんだったワケです。
舟形に花崗岩を削って光背を兼ねた形状に加工し、それを阿弥陀さんの座像として肉彫りしたもので、推定製作年代は鎌倉時代後期とのこと。
オリジナルのものと推す台座と2ピースになりますが、それぞれの蓮の彫も手抜きはありません。
御尊顔は東洋人離れした感じがしましたが・・・
こういう「石仏」との出会いが突然現れるというのも
「ふらっ」と訪問した時の楽しみでもあります。
昨日の清水の石仏にはたまたまなかったですが、どうもその手のものに人為的細工(前掛け・帽子等)が装着されている場面にあたりますが、それも「まぁどんなもんかなぁ」と思うところがあります。
それらを付けることに何かの善意らしきものが受け取れますが、私は石仏の本来の風味を奪い、形をもわかりずらくすることから気になっています・・・。
時に「これは・・・」と思う石塔、石仏にそれらの工作物が添えられている場合、私は一旦取り外して観察させていただくこともままありますね。もっとも元には戻しておきますが・・・
こちらには鎌倉時代の製作と言われる地蔵菩薩もあります(最後の画像)。
その日は人多すぎ、前掛けを外してまで・・・という気にはなりませんでした。
硬い事は言いたくありませんがアレについて「可愛い」などとは決して思いません。私にとっては台無しです。
新造の地蔵さんならともかくとして・・・古仏へのそれは理解不能です。
石仏は石仏として自然のままに拝見したいものですがダメですか。
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