如来さんの「OK!OK!」ではありませんが、現在色々な放送局から取材依頼が来ています。同じネタで「みっともない」といわれていますがすべて快く引き受けています。
番組名を覚えていられないくらいです・・・
昨日は最近テレ朝が力を入れているインターネットTV「AbemaTV」が来られました。
本日1830からの「Abemaニュース」で放送とのこと。
明日はTBSが東京から来られると連絡もありました。
また先日の番組のVTRをその系列の朝の番組で「取り上げるかもしれない」と不確実ではありますが放送局から打診がありました。
アレについては私は視聴もしていませんのでどう話が進むのかわかりませんが、もうこうなったら「全部おまかせ」というところです。
テーマが「クレーマー社会」の一例としてとりあげられたとしてもそれはそれで社会の一つの象徴として受け止めていただければと思います。
まぁ今の「除夕の鐘」というカタチに至ったそのきっかけはやはり何度か続けて匿名であった「やめろ」のクレームからでした。
父親が神経を尖らせ、終い頭を抱え込んでから結局は「除夜の鐘」をやめてしまいましたからね。
それを時間を変えて(お昼から)再開させたのが私なのですが、本当のところはその近隣からのクレームの部分はあまり表には出さず、今のイベントとしての鐘撞会として開き直って楽しんでいるという姿を紹介したいのですが・・・
とにかく挫けてやめたのは先代、開き直って図々しく始めたのは私なので、「クレーマーの罵声に挫けることはないし、やめるとは情けない!」とのお達しは亡き父に向けていただければありがたいとは思います。
もっとも「昼間にやっちゃった」事へのお怒りもあるようで・・・
まぁお見苦しく、中には「またお前か!!」と思う方もいらっしゃるかと。何卒ご容赦のほどをお願いいたします。
さて、父と子の方針の違いは封建時代ともなると決定的不合理な結果を招く事は例外ではないですね。
家康の長子信康への処遇など諸説ありますが「あの結論」はその最たるものでしょう。
上記リンクしたブログに記した国立公文書館の「大三河志」(だいみかわし)~陸奥国守山藩主松平頼寛編纂~に目を通せば大体の親が子にとるべきスタンスというものがわかりますね。
別にそう無茶な事を言っているワケでもなさそうですが、やはり「家」を重んじる時代でもあり、周囲からのまた家臣からの体裁を考えるというのが家長の役目でもあったのでしょうね。
ここであの「井伊掃部家」について。
そもそも「兵部少輔家」との区別が発生したことによってそのような呼び名が起こったのですが、それは初代井伊直政長男の直勝と次男の直孝の家督逆転が元ですね。この件は父直政というよりもその死後に幕府側からの命令でそうなったことでしたから致し方ないところでしょう。
ちなみにその次男が惣領、長男が分家という表向きの判断理由は「直勝は病弱」だからだったそうです(直孝出自の推測について)。
それでいて直孝(1590~1659)は69歳、直勝(1590~1662)が72歳と微妙に直孝より長生きですから、その「病弱」はアテになりませんね。
そして今一つその「病弱」を理由に家督の相続がならなかった人がいますが、それが掃部家直孝の長子の井伊直滋です。
ここで『寛政重修諸家譜』第4輯を開いてみましょう。
567~/617が直勝・直孝の記述、569~/617に直滋が記されています。
特に570/617のところの最後の部分、
「萬治元年閏十二月二十日やまひによりて嫡を辞し、近江國愛知郡百済寺に住居し、寛文元年六月九日同所にをいて卒す。
年五十。室は井伊右京大夫直勝が女」のところ。
やはり「病」ということで自ら廃嫡しているように記されていますが、通説としては父直孝との不仲が主に取り沙汰されています。直孝があたかも「大三河志」に記されたように「好き勝手にやりたい放題」で成長したためだったといいますね。
生まれながらエリート家系として江戸城で「ホイホイ」育てられたといいます。それにより厳しい父親とたびたびぶつかったと。
直滋の名は井伊の通字「直」に滋賀の「滋」。
親の思い入れというものを感じますがそのままであれば掃部家三代目になるはずでした。
その三代目になったのは一番下(五男)の弟の直澄でその人は大老にまで上っています。
直滋(1612~1661)は50歳で亡くなります。父親が亡くなって直澄が家督をとった2年後です。大きな失意が伴ったことはありえるでしょうね。
墓域は百済寺赤門の手前。バス停から「森」の中約100mです。
ただし案内板等は全く(石標の文字のみ)ありませんのであの道を進むのは不安になりましょう。
また「ちょっと行ってみようか・・」と思う人があったとしても獣除けのネットと簡易ゲートが道を塞ぎますのでその先に足を踏み入れる事を控えさせる気に陥ります。
気を強く持ってゲートを開けて踏み入りましょう。
⑤⑥紅葉画像は先日の様子。
なお、あの紅葉の人出の中、こちらの道に入って行った人は見かけませんでした。
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