昨日は朝から旧大東町、横須賀城の手前あたりまで。
毎年恒例の僧俗研修会に総代さんたち同行で担当御寺院に向かいました。
講義のテーマは「本願に生きることと憲法」でした。
あの「ぼったくりバーの但し書き」のような「政府が出した憲法草案」とやらを味わういい機会でした。
アレに賛成したとしたら自分で自分の首を絞めるようなものですね。つくづくそう思いました。
私たち仏教徒が掲げてきた釈迦以来伝えてきた「安寧」の道筋が途絶えることになりますね。仏教徒自己否定そのものです。
なんといっても多数決のおそろしさが控えていますからね。
いずれブログでも私自身の向学のためその草案と現行の違いを私なりにアップしたいと思います。
そこには政府の意図が見えてきますよ。
本当は私としては国民がそれを選択したら致し方ないという諦めというものがありましたが、やはり坊さんとしての「責任」を再び(過去記事)感じた次第です。逃げてはダメですね。
さて、表記「月間住職」(興山舎)なる月間誌について、お寺さん以外の方でこれをご存知でしたらかなりの通ですね。
紹介欄に「住職・寺族のための寺院実務情報誌」とありますように、他を寄せ付けない専門性を漂わせていますが、その内容、特に一般紙の広告欄に載せられ取り上げられた見出しテーマについてアピール度は定評があります。
一般人からゴシップ雑誌編集員まで目を引き興味をそそる「これは!!」と思わせるような記事が踊っていると評価は必ずしも専門過ぎて敬遠したくなるようなものではありません。
さて、師走の声も聞き、あとこれからのお寺としてのイベントは大晦日のお昼から開催の、「除夕の鐘」を残すのみとなりました。画像最後のポスターは婦人部のみなさんが製作し、これから相良中に貼りだされていく予定の代物。昨日出来上がりました。
鐘撞大会は今年で3回目となりますが1か月ほど前に「月間住職」の編集部から問い合わせがあり「昨年の盛況」についてお話をさせていてただきました。
ということで12月号に拙寺のそのイベントについて掲載されていました。
初めて手にしたその雑誌、べらっとめくれば結構面白そうな記事が目白押しなのです②③。
真宗系の書物は色々目を通す機会はありますが、この雑誌は宗旨を超えてまた一歩引いた立場で客観的にそして時にグッと踏み込んでの取材を試みています。あたかも写真週刊誌、今云う文春並みの突っ込みもありました。
寺という立場が危うくなっている今、色々な角度から自分たちの立ち位置を見ていくことも必要であるとあらためて考えました。
④画像は今月号の表紙目次裏というスペシャルなページに登場した「津々浦々お寺は今 トピック」の「除夜の鐘 逆転の発想」。
「夜になるまで待てない 除夜の鐘ならどうする」のタイトルがついて拙寺が紹介されていました。
一応参考まで。
また本日2日はテレ朝のクルーが相良にやってくるそう。
その日の夕方の4時のスーパーJチャンネルで「その件」を紹介してみたい・・・とのことです。
予定は未定でどうなるかわかりませんが・・・。
もっともその時間帯は首都圏のみであり相良地区は視聴することはできないようです。
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野村庄右衞門幸一 (金曜日, 02 12月 2016 02:24)
録画セットいたしました。
石谷十蔵貞清の祖父政清の叔父に石田左衛門尉行敏という人物がおり、その人物が石田家の祖らしいです。
しかし、石谷一族に間違いないと思います。石田家の宅地内にある墓碑は石田家先祖代々のものですが石谷家の人物が三人葬られているそうです。
石田家が石谷家の分流となると、遠江三十六人衆の西郷殿も祖先の1人になるのでしょうかね…
面白くなってきました!
石谷家の遠祖を遡ると藤原鎌足までいくそうですが、そこはどうなんでしょうね。
今井一光 (金曜日, 02 12月 2016 07:57)
ありがとうございます。
相当煮詰まってきましたね。
石谷十蔵貞清に関して地元の?石谷研究に特化したブログを拝見しましたが
元西郷姓の名のりを西郷局に憚って石谷に改めているようで
そのあたりはほとんど確定的だと思います。
まず大抵、遠祖の推測をすれば「源平藤橘」に行き着きます。
特に藤原鎌足、清和源氏、桓武平家等々で、いわゆる「お決まり」的文言で
一番アテにならないところです。
おそらく今も系図製作屋さんはその辺りの「お決まり」ルールに従って
「元祖」を持ってくるでしょう。
井伊家なども「鎌足」では漠然としていますから「北家」としていますね(寛政譜)。
ただしそれも当時適当に付けたというのが最近の感覚です(今の井伊は「南家」説が主)
他に「藤原秀郷流」(俵藤太)など少々時代を下ったところに「元祖」を決めることもありました。しっかりした系図が伝わっていないのは当然でありますが江戸初期から系図の創作が流行ったり、拙寺の如く口伝承だけでの「今井兼平」などよくあることで
まったくアテになりません。
ひとことで「わからないしまぁそうかもしれない」というスタンスでいいかと思います。