遂に11月の声を聞きます。
歳が増えるに従って「冬」のイメージときたら「長く陰鬱な日々」を連想するようになってきました。特に2月など最悪を思います。
とは言いながらも自分的に言って今のところ「身体的例外」は些末なもので、いたって無難な生活を送らせていただいていますが・・・
気持ちの問題ですね。
しかしここは山城探索の絶妙の季節と割り切って外に出る事と境内作業を心がけようと思っています。家に籠っていれば太るだけですから・・・
さて、今時の観光名所「青龍殿将軍塚」に関して3回目です。
桓武天皇が長岡京に嫌気を差してこちらの盆地に遷都せんがためにこちら東山・・・「華頂山」の山頂付近に訪れてその絶景を確認したというのが平安京のはじまりといいます。
ちなみに「華頂山」とは周辺寺院の山号としてお馴染みで特に知恩院のそれは著名です。
「東山」といえばやはり「墓場」ですね。
特に秀吉の豊国廟のある阿弥陀ケ峰周辺は鳥辺野と呼ばれた「洛陽」における一大葬送の地でした。
そしてまた桓武以前の・・・平安遷都前・・・の古墳時代からもその様相は山腹の円墳等の存在から推測できるようです。
古墳というものは後世になって城砦土塁の開削と同様、手を加えられ潰されることもあって歴史資料として残らないものが多数あると思いますが、この京都周辺も夥しい寺院建立工事によって
姿を消していった墳墓があったでしょう。
あの将軍塚の件もやはり「伝承の域」ではないかとも思いますがあの墳墓は「天下一大事」には「鳴動す」と言われてきました。要はアラームをバイブと音で報せるのがこのお山の将軍塚だったといいます。
各時代各書物に「天下大事」の時、その「鳴動」という表現がされています。
今考えれば地震、雷、突風、台風などなど天変地異の自然現象は頻発していますし、そんなこんなでいろいろな現象を「それ」とこじつけてきたのでしょう。
あの将軍塚脇の第3の展望台からは小ぎれいに整備された粋な枯山水庭園が造作されています。
その庭の隅にある二つ笠の宝塔に目がとまりました。
周囲には石仏が並べられて場所的に明らかに「演出」の意図が強く見えますがこの石塔の出どころが知りたいところです。
この周辺には今一つ、天台系の廃寺があったと聞きます。
容姿は美しさを感じますが、石材が違う事は一見してわかります。筒身の彫具合、笠の反り、湾曲の違い等々違うようですが・・・
苔生してまるで「溶けかかっている」ように見える五輪塔もなかなかいい姿です。
出口直前にある石灯籠には「東山大日如来」と記されています。
最後の画像が知恩院三門にかかる「華頂山」額。
コメントをお書きください