石組と石塔観察の楽しみ 美形宝篋印塔  百済寺

昨日は報恩講前の恒例「お磨き」でした。

本堂内荘厳の金物仏具を「キラキラに磨く」という行事です。

今年は2班で15名の参加がありました。

雨の予報でしたがおかげさまでお昼過ぎの解散まで堪えてくれました。午後はポツポツから始まって夕刻になってかなりの降りがありました。

かなり「寒い!」を感じましたが、一転本日は昼にかけて温度が上昇するとのこと。

 

雑談をしながらの作業になりましたが、その中で私の持論、

「①ニワトリを飼えば・・②子供に拾い食いを許容すれば・・

            アレルギーや花粉症はない」

を振ってみました。

 

その日の参加者の中にニワトリを飼っている方がいらしたということもあります。

以前もブログで記しましたが、ここ「ド田舎」と胸を張れる一昔前の相良の朝と言えばそのやかましき鳴き声によって「うつらうつらのトワイライトゾーン」は毎朝の当たり前の光景でした。しかし最近はまったく朝が静かになりました。

 

そのニワトリが消えてから昨今、子供達のアレルギーや花粉症などの奇怪な免疫や抵抗力というものに関わっていそうな病の名を聞くようになったというのが私のいつものこじつけ。

 

ニワトリだけではないです。ザリガニ、蛍、アオダイショウなどもそうですね。ただしニワトリなどは昔から庭に放し飼いにして時として「卵や肉」を期待する家畜でもありますので「飼おう」という意気込みさえあれば「できる」ことです。

 

しかしそれは近隣騒音の問題からおそらく「周囲が許さない」でしょう。たとえば都内住宅地の庭や学校でそれらを飼って自然に任せて「コケコッコー」となれば電話がガンガンかかってきそうです。「保育園が来る」というだけで血相を変えて反対する人たちが出てくるのと同じです。

 

騒音だけではないですね。「不潔である」とか「異臭がする」等々もありそう。要は鶏糞等が飛沫して周囲を漂っていくのでしょうが、そういうものを昔の子供達は自然のうちに「摂取」して抵抗力をつけていったのだと思います。

それと同等のことですが、昔は御菓子やおかず、握り飯などをぽろっと落としたものをポンポンとゴミを落として「拾って食べる」ことなどよく見る光景でした。

ハナを垂らした「汚ねぇ小僧」など、懐かしいと思うくらいです。

 

後者、「拾い食い」には「もったいない」精神が生きていたということもありますがこの二つの件、社会に蔓延する異常なほどの「過度な清潔思想」が導いたことだと思います。

お磨き出席者のある方から別の意見も。

日本では土葬は稀な風習となりましたが「土葬被葬者の土に還る時間」が以前より長期間となったという話がありました。

これはどちらかの医者が言っていたことのようですが、今の人間は「防腐剤まみれ」になっているという話の導入部分だったようです。各個体は防腐剤に浸っている生活をしているのと同じで腐敗が遅れるということですね。

 

そういえばコンビニに並ぶ品物の賞味期限ばかり目が行くことはあっても防腐剤については何らの考慮もしなかったですね。

また、見栄えばかりを良くした農作物の陰に農薬というものの存在というものを忘れていました。

 

売る方とすれば製品の日持ちがすれば販売機会も増え、ロスは減るということですから経済的です。砂糖と塩で調整すれば味を「うまい」に変えることができます。

抗生物質と殺菌消毒剤、防腐剤そして塩をガンガン摂取する習慣を変えていかなければ日本人のアレルギーや花粉症発症者の比率もそれに比例してガンガン増えていくでしょう。

 

さて珍しく連続投降の百済寺3日目です。

前2日の方、ご興味のある方はこのページの一番下の「サイトマップ」をクリックしてください。ブログは日にち順に下っていきます。左側の「ブログ100日分」でもOKですが微妙に重たいものがあります・・・

 

昨日は百済寺「一、二の見もの」と、本尊脇の二観音について記しましたが、仏の美しさは勿論ですがこれはたまたま撮影ができたということもあったわけです。

私の感じる「美」への趣向は「石積みと石造」ですので、やはり最も素晴らしいと思えるものはその範疇にあります。

野山に何となく立つ五輪塔も感動を覚えますが、こちらの本堂脇に立つ宝篋印塔は見た者に正面からその「美」を滲ませた石塔であると感じます。

 

石段を上って突き当たった石垣を右に、そしてまた左の階段を上がった、あたかも城でいえば本丸にあたるような場所の左方に本堂があるのですが、その逆、右側にポツンと鎮座しているのがこの石塔です。

 

一瞬「無茶な後世の造作」を思わせるカタチで「やれやれ」の笑みまで出たほどでしたが―これは塔身が四角柱であるものを見慣れている者としてはまるで五輪塔の「水輪」をパーツ取りして「やっつけ組上げ」し、体裁を整えたようにも思えるからです―よく見ると、石材の質も基盤等と同等の如く窺われ(ただし若干相輪の色が違うよう感じます、またそのことだけで一概には「パーツ取り」「付け替え」の断定はできません)、まして塔身は五輪塔水輪の如くの球形ではありませんでした。

 

あくまでも作者のデザイン(主張)なのです。

角を落として湾曲させて四面に「顕教四仏」を厚めにレリーフ(肉彫り)しています。イイカタチに仕上げています。

 

「顕教」に対しては真言系の「密教」という語で耳に親しいところがありますが(のちに天台系密教もアリ)、ぶっちゃけ「密教」は真言宗、「顕教」とは浄土真宗以外の各宗(禅・浄土系も含む)という感覚でよろしいのかと。

 

これも大ざっぱにその発想の違いとして密教は「大日如来」を中心に描く世界観に属し、顕教は「釈迦如来」の世界観というものでしょうか。

「真宗以外」というのは真宗は「阿弥陀如来一本」ですからその両方にも属しませんね。

 

そして「顕教四仏」というものを宝塔の塔身に描くとすれば・・・

方角ごとに

  東―薬師 南―釈迦 西―阿弥陀 北―弥勒

の仏たちということになります。

 

ただし摩耗が激しいうえにこの手の仏たちの判別はなかなか難しいものがあります(左手に薬壺らしきものを持っているのが薬師というのは比較的判別のポイントとなりますが・・・)し、まず大抵は創建以来同じ場所に居たとは限りません(移動、設置替えなど)ので、方位磁石を持参したとしてもあまり意味がないかも知れません(ヒントにはなりますが・・・)。

 

密教系では「金剛界四仏」「胎蔵界四仏」(実は大日如来が中心にあるのでその四方の仏を加えて五仏とも)という選抜された仏たちもありますが、弥陀だけは共通して「西方」ですね。

 

隅飾りの様子(無地馬耳状の直立具合)と格狭間(石塔台座等・・・須弥壇等にもあります)の上部の彫の深めのうねうね曲線の多さからして・・・ふむふむ・・・「鎌倉から南北朝?」などと推測して楽しみます。

 

⓼の灯ろうはこの突き当りの石垣の前にあります。

⑨が昨日記した本堂の内陣と外陣を区切るガラスのはめられた格子。⑩は駐車場売店エリアの隅に並べられた五輪塔たち。

以降画像は回遊庭園の山側の様子。