ルイス フロイス 地上の天国 百済寺  BS朝日27日

城址での爆弾テロには驚きました。

私は関東にはまだ趣向が届きませんが「城」でのその手の犯行にはかないませんね。私は山城党ですが、観光平城にも訪れることもあります。往々に「タチの悪いのは人」であることはわかっていますが今は熊への注意一本やりですからね。

まさかの事案でした。

 

何しろ不特定多数、一般人を巻き込むというのはかないませんね。国民を守るという自衛隊員の退職者と聞いてまた驚きです。それも「分別のわかる」いわゆるイイお歳をめした方。

その件あの防衛大臣にお聞きしたいところです。勿論爆発物の調達と管理の件です。素人では手配できるものではないでしょう。

 

さて、数日前に政府観光局から発表された訪日外客数(2016年9月推計値)は前年同月比19.0%増の191万8千人と。

勿論過去最高で言わずと知れた中国からの来訪が2015年の499万人)を3か月早くクリア(500万超え)するなどアジア系諸国ものきなみ30%アップとのこと。

熊本の地震によって一時的に減少という様相かと危惧していれば一気に東京、京都、大阪になだれこんでいるといった状況でしょうか。

 

昨日お話しした檀家さんによると週末は東京に居たそうですが東京駅の土産物店の会計には長い行列で、仕方なくもそれに加わらなければならなかったと。

京都駅周辺のその件はよく見せつけられていますので、やはり「なるほど」と思ったところです。

 

この間、息子の寮に「兵糧」を入れたあと八幡(近江八幡)あたりに一泊しようと(息子の部屋に泊まることもできますが、寮には駐車場がないうえに部屋は雑魚寝の如くであまり快適とはいえませんので・・・)日没後に八幡周辺で以前よく使ったビジネスに電話を。

すると「満室です」の応答・・・唖然としました。土日でもないのですよ・・・

 

京都辺りと違って平日の滋賀、それも大津からは離れた八幡周辺にもかかわらずです。

私はどこに行くにしろ決行は「前夜に決める」ことになりますので(仕事がら予定は組みにくい・・・)「絶対」の予定がない限り「予約」はしません。

 

それが今までのならいで何らの不都合はなかったのですが、あの時は困り果てました。コンビニに駐車して周辺を検索、片っ端から電話を掛けまくり約10件はあたったでしょうか。

「満室」ばかりで、そろそろ観念というところでようやく「5400円食事なし」という宿が見つかり何とか転がり込むことができました。

京都に戻って息子に泣きつくか、一気に相良へ帰るかという選択肢も頭に浮かんできたころでした。

 

方法としてはもう一つあります。

早めに「あねがわ温泉」などの日帰り温泉に浸かって閉館時間まで休憩室でゴロ寝し、追い出されてから車中泊というものですが、あれは少々カラダがキツイですからね。

閉館時間が22時よりも24時以降というのがイイのですが・・・(ちなみに「あねがわ温泉」は22時)これからの京滋の冬は冷えることこのうえなし。無茶ですね。

 

しかし、それにしても京都を中心とした国内外関わらずその人気振りは顕著です。もうのんびりと予約なしの当日イキナリ投宿というのはこれからはなかなか無理のような気がしますね。

特に「ネット回線」は当たり前にしろ「禁煙室」を指定すればなおさらとなりましょう。

 

これから晩秋を迎えることにより、木々が色づいてきます。

その美しさを愛でる観光客が大挙して琵琶湖周辺の自然を占有しに目指すことになりますね。

11月に日帰りで(日祭日)近江に行く用事がありますが宿泊先の問題はさておき高速道路の渋滞に巻き込まれるのは嫌ですね。

 

その紅葉の「美しさ」を煽るが如くのテレビ放映があります。

以前ブログでも記しました五木寛之の百寺巡礼ですが、27日は「知恩院と百済寺」とのこと。

先般立ち寄った百済寺(場所はここ)にその放送日が記されていました。

開基は聖徳太子。「湖東三山」(他は金剛輪寺、西明寺)の1つとして気持ち一番に著名なお寺です。その名の通り大陸からの帰化人との関係を推します。

この寺が有名になったのはそれ以前にも大きな火災に巻き込まれていた歴史はありますが、何といっても織田信長の焼き討ちで灰燼に帰したことから。

 

そこで当時の百済寺について記したルイス・フロイスの形容。

彼の記述は少々壮大ですが、『地上の天国一千坊(房)』と。

 

また寺の掲示板にこうありました。

 

「日本の千仏洞・・・百済寺[国史跡]

百済寺の最盛期には、中核部300坊と周辺部700坊の合計1000坊で構成されておりました。これはまさに日本の千仏洞(堂)といえます。中国の敦煌千仏洞(莫高窟)では、建築材が岩であったため岩盤を穿って坊舎(房)とし、坊内に石仏や壁画を安置しました。

一方、日本では建築材が[木材と紙]となるため、千枚田のような石垣覆われた台地の上に築いた木造建築のお堂の中に[木造の仏像と和紙などの掛軸]が安置されました。

 

しかし[木と紙の文化]は火災に弱く信長の焼き討ちの時この[地上の天国]は惜しくも地上から消滅し石垣台地のみが残りました。この中核部300坊(81ha)の石垣台地は、平成20年に国史跡として永久保存されることになりました。」

 

BS朝日 10月27日木  21:00〜21:54

「東山三十六峰のひとつ、華頂山の麓に伽藍を構える浄土宗の総本山「知恩院」と、琵琶湖の東岸、鈴鹿山脈にたたずむ三つの名刹・湖東三山の中で最古の寺「百済寺」を訪ねる」

 

①②石標の近くには近江特有の住居表示。圧倒的に「山本姓」というのが興味深いところ。次に多いのが「野村姓」でした。

 

⑥⑦⓼⑨は赤門。周辺には石塔が。⑩~が仁王門。デカイ草鞋が吊り下げられている特異な情景。

最後から2番目の画像がバス停ですが、観光コースとしてはこちらから永源寺に向かうというのが多いようです。

最後の画像が「あねがわ温泉」。こちらからは距離があります。

 

 

コメントをお書きください

コメント: 7
  • #1

    野村幸一 (月曜日, 24 10月 2016 08:49)

    凄く雰囲気のあるお寺ですね!歴史が感じますねー(^^)こういう感じは好きですね。

    近江八幡市に野村姓が多いのですか!先日のブログにあった長浜野村町から難を逃れる形で移ったのでしょうかね。

    明日、1日自由に動けることになったので急遽相良行き決定しました!今回は市役所で旧土地台帳や公図などを調査しようと思ってます。呉服屋時代の屋舗がどの程度の物か記録の閲覧です。明るいうちに用が済んだら…というか済ませてお寺に行くかもしれません。先日写真を送っていただいた又七郎の墓碑を直に見てみたいと思います。

    帽子被ったオッサンが境内をうろつくかもしれませんが、ご了承ください。

  • #2

    今井一光 (月曜日, 24 10月 2016 10:11)

    ありがとうございます。
    馬淵姓もそうでしたが、「一所懸命」からの離散は各所で散見されますね。
    どうぞお参りください。

  • #3

    野村幸一 (火曜日, 25 10月 2016 05:54)

    相良へ…と思っていましたが、市役所では事が足りなかったようでした。。

    藤枝の法務局じゃなきゃ望む資料が入手不可。

    相良へはまた後日行こうと思います。その折にはお花を持って墓参します。

  • #4

    今井一光 (火曜日, 25 10月 2016 07:35)

    いつでもどうぞお参りください。

  • #5

    野村幸一 (水曜日, 26 10月 2016 22:18)

    昨日は法務局にてかなりの情報を入手することができました。数年前に相良の法務局が藤枝支局に統合されたそうですね。
    旧土地台帳や公図を取り確認すると野村呉服店時代の当家は本家を凌ぐ資産家だったようです。今は見る影もありませんが…かつてのブログで記された門前の石のお宅も元々は庄十家の敷地でした。

    栄枯盛衰…です(^^;)





  • #6

    今井一光 (水曜日, 26 10月 2016 23:09)

    そうでしたか。調べようによってはかなり突っ込んだところまでわかるのですね。
    かなりの収穫があったようで何よりです。
    法務局といえば今私どもは島田に行っています。
    以前は歩いて30秒の場所にあったのですが。
    また教えてください。

  • #7

    野村幸一 (水曜日, 26 10月 2016 23:19)

    そうなんですよね、昔のゼンリン地図を見ると大澤寺の裏手の方で近所ですよね。そこなら法務局から大澤寺、史料館とフルで動けたのですが…(^^;)

    また詳しくわかればお伝えさせていただきます(^^)