どうでもイイね「淵と渕」  馬淵城~千僧供

しばし「夏復活の趣」。

こうやって少しづづ北半球は冬に向かおうとしています。

待望の山城歩きは少々早いですが、いよいよシーズン到来というところでしょう。

雪国ではない太平洋側の山城好きの行動は「冬場」限定となりますね。私の場合は基本的にはその通りではありますが、まぁ「のべつまくなし」という感じでしょうか。

 

静岡県内の平山城を攻めるのなら夏場であってもハイキング気分でそれもまたヨシですが、岐阜・滋賀など奥深い山は結構恐ろしいものがあります。

特にまた今年は兵庫辺りではクマの出没で痛い思いをされている方が出ているとのこと。

 

先般も息子の夏休みに合わせて兵庫方面の山を調子よく鼻歌交じりで巡りましたが今更ながら「よく無事だった」と安堵しております。

先日襲われたという人は怪我を負いながらも金属バットでクマをぶっ叩いて追い払ったそうですが、私らは山に行くにそんなものを持ち歩く習慣はないですから。

なによりもクマの絶対数が増えているそうです。

 

さて、昨日は標記の通り、「馬淵か馬渕か」で悩んだ挙句馬渕にしたことを記しましたが、1日たって「つまらないこと」を記したというか端折りすぎたものと思い返した次第です。

 

現場で撮影した画像を掘り起こしてみれば、あそこの地名の「ブチ」の字はダブルスタンダードなのでした。

考えてみれば略字の方で統一しようなどという意見が通用するとは思えませんでした。

よく見れば「淵」の方の優勢勝ちですね。たまたま見たもの(地図表記)が「渕」だったため変更しましたが、そのままにしておけばよかったと後悔しています。

 

私が文字にこだわる理由はやはり職業のせいもありますね。

私が間違えれば墓石等にも間違えた字が彫られてしまうことなどを筆頭に以後色々失礼千万なことに繋がってしまいます。

確認の作業は怠れないのですが、苗字名前に略字がある場合はまず「正式の方の字を記す」というのが通常パターンですね。

かつて1度だけ「略字の方がイイ」という方がいらっしゃいましたが・・・

 

そもそもここには古くから「馬淵の城館」について「不詳ながら存在していた」というお話はありました。

各城郭ファンも訪問されていて、それぞれ記されていますのでご存知の方はいらっしゃるかとは思います。

その記事の出典はやはり例の「城郭大系11」からです。

ちなみにそちらの書籍にはしっかりと「馬淵」と記されています。

 

ざっと転記すれば

鎌倉時代中期、建保六年(1218)佐々木広綱が将軍実朝より賞賜された馬淵荘を、その弟広定が受け継いで馬淵氏の祖とし居館をおいた。・・・・・略

城跡には現在、一ツ堀・蔵の町・藪雨田(流鏑馬田の推測)の町名が残っている・・・です。

 

近江国人勢力が佐々木氏の流れというところは「馬淵」に限ったものではなくそこには佐々木の多様な分流を見させていただいております。

城に関わる地名が残っているということはその存在を示唆しているのですが、「では本曲輪、あるいは主郭、館はどちら?」と考えるのが常ですね。

私が思うに、それは「馬淵小学校あたり」が考えられないかと思ってしまいます。全国的に「城跡に学校」はつきものですから。

地元の調査というものをまったく度外視して記していますのでその点は失礼いたします。ただの推測です。

 

画像各「馬淵」の使用は公共機関では当然でしょう(場所はここ)。

④~⑧が町内にある地蔵堂。正面周囲には石仏やら五輪塔が並べられていました。

お茶目心のおばあさんの存在がうかがわれます。

千僧供」についての詳細石碑が土日のみオープンの資料館前に立っています。こちらも「六枚橋」からスグのところです。近江八幡の通勤時間帯で込み合うのがこの「六枚橋」と八風街道の「友定町」の交差点でしょうか。