出身地 地元にて斬首・・・馬渕の住蓮 首洗い池

朝から土砂降りで朝から家の中。檀家さんから「昼飯を食おう」とのお誘いがあったため少々出かけたもののそのあとはずっと家で鬱々としていました。

日曜の例のラジオ、「雨おんな」―司馬遼太郎を録音していて(夜間はお取越しがありましたので)朝からそれを聞いたことから「酷い雨」になったのかと思うほどでした。

その内容は別に記すとして、このような日は過去ブログの誤字等のチェックをしようとページを捲っていました。

出るわ出るわ、全くお恥ずかしい限りの殴り書き具合がわかります。どうせ書くなら「もっとしっかりしようよ」という気持ちはありますが、現状「元気にしています」程度の発信でいいか・・・というところでお許しいただいています。

 

しかし昨日目に付いたブログでちょっぴり恥ずかしかったと思うのが近江八幡の「馬渕」を「馬淵」と記していたことです。

拙寺の名を「大沢寺→大澤寺」を正解としていますが。

「まぶち」の場合は「淵」が正字ですね。

ただし「渕」の使用(略字の方)、これは地名でスティックされているようなので勝手に変えるべきものではありませんが地元街区のプレートでは「馬淵」ともありました。

また、この地と御縁があるかと思われる蒲生郡の「まぶち」は地図上では「馬淵」になっています。

 

まあ、どっちでもいいような気がしましたが。その前に私のブログの方が無茶苦茶な文章になっています・・・。

やはりこの「馬渕」という地名と同じ姓を名乗る家は結構近江にあって、近江では近江八幡市が一番多いようですね。

 

ブログでのそれは既に一応は「馬渕」と修正しました。

これは昨年、近江八幡市千僧供町の住蓮と安楽の墳墓について記したものでした(こちら)。

 

拙ブログのいけないのはあっちこっち気分次第で飛びまくるところで、ほとんどその日の思い付き。記事がバラバラに飛びますので、「閉まらない」のです。まぁどうでもいいといえばどうでもいいこと。

 

住連と安楽については上記リンク先の過去ブログや各お調べいただければと思います。

こちらでは再度、「千僧供町の馬渕」の地について。

上記の二人の墳墓の近くには住蓮の首洗い池と伝わる枯れた池が残ります。現在は児童公園になっていますが、私が訪問した時は相良のそれと同様、遊ぶ子供は皆無です。

 

住蓮の出身地がこちら馬渕だったとのこと。

あの事件は法然さん門下として若くして名が出て出世した頃でしたので、今でいう「地元期待の新星」だったのかも知れません。

それを安楽と同様に当時殆ど罪人にはお決まりだった六条河原での執行ではなくわざわざこの地まで連行して斬首するなどは結構過酷で残忍なやり方であることを思います。

 

ちなみに安楽の方はといえば皇家執務を司る「大外記」世襲の中原家出身ということで地元といえば京都ですから、そういう意味では「合ってる」のかも知れませんね。

 

首洗い池はかつては「6枚の板切れの橋」だったといわれる「六枚橋」交差点から日産のディーラーを目指しますがその車の通行が多めの通りの裏側にあたります(場所はここ)。

街区の地図⑦がちょうどその公園に立っていますが、よく見ると隣に「住蓮寺」と。

表に廻った図が最後の画像ですが、寺院名がわかる看板等はなく、境内?には立ち入りはできませんでした。