またやらかしました。
お気づきの方もいらしたと思いますが昨日のブログは意味不明でしたね。「いつものことじゃねーか」と仰れるかとも思いますが、アレは自分が読み直しても酷かったです。
まぁ、記したっきり、永遠に見直しをしていないものもあったり、いまだ無茶苦茶記事も残っていることはうすうす感じていますが・・・
昨日のものは既に修正はしましたが、近江の「平居」を「石居」と記していました。
私は苗字に使われる「居」(居る場所)が同音の「井」に替わる場合、そのままもとの「居」が使われているところに触れようと思ったばっかりに気が疎かになって知らず知らずに「平」が「石」に変わっていました。
言い訳を記せば城址の石標と石塔にも重点があったためその「居」に「平」を付けた「平居」について記すべきものを「石居」としてしまったワケです。
この一年これまで以上にポカを指摘され「いよいよお前も・・・」と「観念しろ」のお達しが増しているような気分です(見えざる目に)。
しかしこの「観念」、まるで刑事ドラマで逃げ回る小者に向かって刑事が諭す「観念しろ」という意が人口に膾炙していますが、本来はその字の如く仏教出典の語ですね。
「観想念佛」を端折って「観念」と記したものと思いますが、それが独り歩きしてきたのでしょう。
ということで刑事はあの状況で「観想念佛しなさい!!」と言っていたとしたらやはりそれは「坊さん?」で、おかしなことになってしまいそうです。
まぁ、はやく自分の置かれた状況を「覚りなさい」という意味にはなりますが。
それは浄土教系で善導さんが記した一つの「行」でもありますので実を言えばやはりその「観念しなさい=観想念佛しなさい」は合っているといえば合っているのです。
今年から始めた(とは言いながら1回きりで「トホホ」ですが)
拙寺の「念仏メディテーション」には不可欠なキャンペーン風の言葉が標記の語なのでした。
各その手のものの解説文等からの私のパクリ造語ではありますが、イイ線行ってると自画自賛しています。
10/15と16、17はお天気が良さそうで、まん丸の月輪が楽しめそう。
日々心身お疲れの皆さんは思い切って「べた凪の水面」の向こうの月輪を前に身も心も投げ出して、自身をとりまくすべての事象に対して「讃嘆」してみてはいかがでしょう。
ハッキリ言いましょう。ウソではありません。絶対に得るものがあります。なお付け加えますがラクな姿勢と呼吸も意識してみてください。
さて、「石」に戻ります。
私の墓場放浪のポイントは五輪塔・宝篋印塔・石仏そして城址です。その辺りは拙ブログに遊びに来られている方ならば「まぁそんなもんだろう」と合点していただけると思いますが、ではそれらの石仏や城址のありか、情報をどうチェックして行き当たるのだろうという疑問が生じましょう。
そのガイド本の類について記します。
昨晩はお取越しの御宅に。
いつもの如く今年は中2になった女の子の参加にホッとして・・・というのはいい加減「坊さんのつまらぬ話にはつきあいきれない」という感情が芽生えてもおかしくない年頃ですので・・・
私から「部活は何を?」と問えば「美術部」と。
そこで「画はとことん弱いのだがある美術に私もハマっている」と話しました。その美術とは「石造美術」のことですね。
オチとしては「墓石です・・・」と多少の笑いを得ましたが・・・
ところが半世紀以上も前からその五輪塔、宝篋印塔、石仏はじめ層塔、宝塔、多宝塔、石塔婆、自然石線刻、板碑など歴史的人口工作物をひとくくりで「石造美術」という名称を使った川勝政太郎氏がいました。
その人の1978年に出した『日本石造美術辞典』(東京堂出版)が一応の私の墓石探訪のガイドとなっていて机の脇に置いてあります。
少々古い書籍ですので新しく発見されたものや、改められたものについては記載の期待はできませんが。
ちなみに昨日の平居町生蓮寺の宝篋印塔に関してはその書籍には記されていなかったような気がします。
あちらはたまたま私が歩いていて行き着いたものでした。
その川勝政太郎氏のたくさんの書籍を集めていくのも私のこれからの課題ですね。
氏はそもそも「サンスクリット」(梵語)の権威ですが、私ども浄土真宗の宗旨はその真言宗系に登場する文字には殆ど御縁がないため、気持ちとしてはそちらも少々齧ってみたいという気持ちがあるのです。
そして石塔たちは真宗興隆以前の古い形態のものほど美術的価値というものを感じますが、それらには「梵語」がつきものですからね。
また、このただ1冊の書籍に載っている「石造美術」たちに会うことも膨大な年月がかかるのは明らかなことです。
よく私のブログを見たという方が「よくネタが尽きないね」と仰る方がいらっしゃいますが、私如きのブログなどは「五輪塔と宝篋印塔」についてネズミが齧った程度の記述であって、もし本格的に「石造美術をやる」と決めたとしてもおそらく一生かかってもそれは記しきれないことだと思います。
まだまだ日本国内には、日本のオリジナル、独自の発展を遂げ衰退していった「石造美術」が溢れていますので。
ここでも自身「観念」しなくてはなりません。
また、趣向が戦国期にもあって各地城址への思い入れも深いものがあります。
よって各地に今も残る「城址」を歩いてその感想をブログに記したとしたら・・・殆ど無限に近いネタがあるということです。
これは私の命が尽きる方が早いことはあきらか。
要はブログのネタなど生きてさえあれば「いくらでもある」ということです。
ちなみに城址関係の私のガイド役の書籍として触れれば、やはり古城めぐりとその道を歩む人必携の書籍「日本城郭大系」がありますね(詳細ウィキ参照)。
やはり古い書籍の部類ということと完全網羅というわけにはいきませんが、その道を歩もうとする人にとってそれを「持っていないことの不安」を呼んでしまう絶対必携ともいわれる書籍です。
全巻取得は意味がありませんので(とりあえず膨大すぎるところとお小遣いの問題・・・)現状、地元静岡から愛知岐阜京滋越前を取得しています。
強者の先達は「全巻取得」しての「日本城郭大系」と言われますが、私には全国網羅した行脚は無理(辞典としての所有は別)。まず地元からのんびりとですね。
私の所有する巻の掲載城郭すべてでさえ回って、ブログに記すことができたとしたら・・・やはりあと一生分以上のブログのネタになるでしょう。
もしこれから「ゲームから」ではない歴史に関するブログを記そうという方がいらっしゃいましたら、川勝先生の数冊の書籍、そして城郭大系のうちご興味のある巻をお揃えになることからをおすすめいたします。
また駿遠では「古城」(古城研究会)は当然にチェックすべき書籍です。
かなりの余談、拙寺の「自慢噺 ?」を一つ。
実はその城郭通のための教科書ともいえるその「日本城郭大系9」の静岡・愛知・岐阜版に拙寺大澤寺の掲載箇所があることを付け加え記させていただきます。
その箇所は勿論「相良城」の段、画像③。
★「相良城の面影を伝えるもの」
のうち「城の用材の欅木林・・・大沢寺」とあります。
「林」ではなくて「材」が正解。
なにもここで誤字を見つけるなんて・・・尚、「大沢寺」の「沢」という略字は以前は拘りなく使用していましたが、今は「澤」の字に統一しています。法人上の登録も勿論「澤」の方です。
もっとも他者の略字使用に関しては文句の言いようがありませんが・・・
とにかくその道の通の方々のスタンダードまた垂涎の書籍である「城郭大系」に僅かながら記載があることだけで名誉に感じてしまう「おっちょこちょい」でもありました。
ご所有の方々、是非ご確認を。
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