10月に入って扇子を広げるとは・・・一向に秋らしい清々しさとはなりませんね。昨晩も相当湿気た空気が充満していました。
とは言いながらも「お取越し」の季節に突入です。
私が相良でお世話になるようになったのは2006年でしたからそちらでは10回目?いや11回目のお取越しとなりました。
同座の方から「そういえば去年はうちらは飛ばされたな」との声が聞こえてきました。私は「何のことやら」と聞き返すと「風邪!!」と「ピシっ」と。そういえば去年の今頃は長引いた風邪が治らずに相当苦しんだことを思い出しました。
風邪程度の病ならではですが、その場は苦しんだとしてもあっという間に忘れてしまうのですから勝手なものです。
お取越しは本堂とは違って仏間でのミニ法要となりますので今時、無理をしてまで出向いて行って風邪のウィルスをまき散らすワケにはいきませんので致し方なかったとは思いますが・・・。
その点この病に関しては温暖湿潤であることは、なかなか悪くはないことだと思います。
お取越しの楽しいところは、名目はあくまでも親鸞聖人の御命日、報恩講の「とり越し」ではありますが、お勤めが終わって短い法話らしきもののあとの「雑談」にあります。
私よりも年配の方ばかりですので(そういえばどちらのお取越しにも若い方はそう見えません・・・)なかなか普段では聞けないウラ話等に花が咲きます。
私の方でバカバカしくも懐かしい思い出を記しますとお取越しといえば祖父の様態が目に浮かびます。
今私はお笑いといえば「よしもと新喜劇」オンリーですが、祖父はその当時(私の中高時代)「ドリフの8時だよ・・・」を偏に楽しみにしていました。
何曜日か忘れましたがその日には夜7時から始まるお取越しを8時までに帰るというかなりのウルトラCをやってのけていました。
祖父は徒歩オンリーですから、帰りの道のりを考えれば最低でも7時45分を終了の目安にすると思います。
どういう話をして帰ってくるのかわかりませんが、時計をちららち気にしながらのお勤めはさぞかし見苦しかったと思います。
そして下駄のカラカラいう音を鳴らしながら息を切らして帰ってきてはテレビの前に陣取ったところを思い出します。
祖母から「みっともないからいい加減にしなさい」と言われたりするとその手の指摘には「逆ギレ」する始末。
そこは父も同様でしたが、私は2者のその姿を見続けたせいか、同様の御指摘には「まずは苦笑い」というのがパターン化しています。
これは「相方の忠告」への対応、スタンスなのです。
一昔前の女房子供に対する感覚がやはり根底に「男尊女卑」があったのでしょう。
戦前戦中を通した男というものにはその手の気概なのか受けた教育の名残なのか多少なりとも持ち合わせていたものです。
ただし今となってはそれは通用するわけもなく・・・
さて、昨日の雑談以外のちょっとした法話は・・・「変成男子」。
今風下世話な言葉でいえば「草食男子」や「オネェ」「オカマ」を思い出すような言葉です。
話が飛びますが、かつて名古屋城内の混雑の中で友人の「奥の墓道氏」に向かって「おいママ!!」と呼んだところ小声で「バカ野郎、オレに『ママ』って言うな」とマジ切れされたことがありました。その手の類ですね。
私はいつも自宅にいる時、相方を呼ぶときは大概その呼び方をするものですから、たまたま彼を呼ぶときに、つい癖でその言葉が出てしまったのです。「周囲がじろじろオレを見ただろ」と。
最初は「それって、そんなん怒られる事?」と思いましたが考えれば「なるほど」と思いました。
本題にもどりますが、その「変成男子」(へんじょうなんし)とはその意とは全く違います。古くから仏教経典にも記されていて、その解釈についても色々物議をかもしてきた言葉です。
要は「女子は成仏することは難しいので、いったん男子に成るというステップを踏み、晴れて成仏しよう」といった思想ですね。
超男尊女卑の思想が脈々と仏教経典にも、また真宗という「平等に誰でも」(18願)を主に打ち出していながら各教典にその名残、あるいはそのままそう受け取れてしまいそうな部分があるのです。
特に有名なのが一番著名な「弥陀成仏のこのかたは」と同じ「浄土和讃」(画像①②)の
弥陀の大悲ふかければ
仏智の不思議をあらはして
変成男子の願をたて
女人成仏ちかひたり
です。
②の頭に「三十五ノ願のココロナリ」とありますが弥陀の誓願35願が「女性は極楽に行って男となって往生する」と今の私たちには一瞬「意味不明」に陥りそうな「願」についてうたわれた和讃です。
それほど仏教世界には脈々とその考えが残存していて、(勿論親鸞の時代以降真宗では「女人であっても念仏信心即浄土」と流布されるのではありますが)その手の思想は「18願なのに35願」というダブルスタンダードにも似た不思議を醸し出していたのでした。
私の知っている限り、つい最近まで葬儀式用勤行集には男子用和讃、女子用和讃などと区別があったほどです。
勿論現在はそのような区別はありません。
拙寺の法名に女子に「釋尼」(尼という字は少し小さく・・・)と「尼」を付けますが、これは法名として記す場合の男子か女子の判別が一目瞭然であるからとその事務的要素を説明しています。しかしやはりみな同じにするべきという御寺院もあってそこのところは自由、本山からの指示はありません。
画像③④は御文の二帖-1 「御浚え」(おさらえ)から。
報恩講の締めとなる御文ですが、親鸞さんから八代たった蓮如さんの御文でさえそのことを断定的に記しています。
まぁ解釈も色々ですが、ここにも「歴史」の厚みを感じます。
今や「変成女子」の時代なのかも・・・。
どちらにしろやはり何か気持ち悪い言葉ですね。
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