先日20日の午前に久々「杉本家の食卓」の再々放送を見ました。
放映について気が付かずにいたのて慌ててHDを廻すことになりました。よって最初の15分が切れてしまいました。
最初の放送が2007年。その再放送が2012年だったでしょうか。私は再放送を見ました。
特に阿弥陀さんを中心にした生活と大店でもかなりの質素な生活であったこと、詳細書面が「歳中覚」に記されていてかつその習慣が代々受け継がれていることにこのうえない感動を覚えたものでした。
またお寺の報恩講期日より先に僧侶を自宅に招く、当流でいう「お取越し」らしき場面では(杉本家はお西です)僧侶の「正信偈」のスピードが「なんてゆっくり」なのだろうと思いました。
それらに感じ入ってかつてブログでは「色々と料理を好むは不養生の第一」と記していました。
一番に感動したというか立ちすくんで聞きいってしまったあの言葉ではあり当時当然に反省をさせられたわけですが、今振り返ってみれば「全然・・・」ですね。
再びその語を目にして、そもそもあの時は聞く耳だけは持っていたとしても改めて行動を殆ど変えていない自分がここにありますのでその様(サマorザマ)に今度は掘り下げた「悪辣な心」を思いました。
私はあの番組の最後に当主が歳末に記す(木版を写す)習わしの
「火用心」が痛く気に入っていつかの盂蘭盆会法要に「火用心」を記した手ぬぐいをお渡ししたほどです。
地震―雷に次いで恐ろしいものとされていますが、「火事」はあまりにも日常的です。
昨晩も片浜地区で火災があったということで消防車のサイレンの音と各地区のスピーカーより火事についてのお知らせが流れていました。
「火用心」はそもそも竈(かまど)への注意喚起ですが、私の方はそれは当然ながら、御内佛のローソク、線香、子供の火遊びについてご注意依頼したものでした。名号を記した手ぬぐいよりも「火用心」の3文字はシンプルかつ現実的でよかったと思います。仕事がら御内佛(他流では仏壇と呼びます)からのボヤ騒ぎや自宅全焼の話はよく耳にしますから。
話は逸れますがそういう私も年に数回は「ローソク点けっぱなし放置」をよくやらかしています。本当に自分というものが「信じられない」にさらに拍車がかかっています。
心悪辣なうえに頭空虚で救いようがないレベルというところ。有り難くも阿弥陀如来はそれでもきっと救ってくれるのでしょう。
さてあの番組に出演していた御当主のフランス文学の学者でありエッセイストの杉本秀太郎さん(九代目)は昨年、白血病で亡くなっています。時間が経つのは早いものですね。
ウィキから転載しますが、杉本秀太郎さんが自宅について記した部分を転載すれば
「屋敷地一帯は、平安時代には、関白となった公卿・藤原頼忠の屋敷があった所で、歌人で有名な(息子の)藤原公任も住んでいた。屋敷の真ん前が「矢田寺」という寺で、「平家物語」を語る琵琶法師たちの集合場所だったそうである。
だから前の通りは(平安時代には)、琵琶法師や藤原家の召使(家人)たちが行き来していたんではないか。
注意を凝らせば、京都には、まだまだ「平安時代の匂い」の感じられる物は、ところどころに残っているんじゃないか。」
①は「きょうの料理」の10月号。既に書店店頭に並んでいます。特集が「杉本節子の京ごはん」です。上記番組の「せつこはん」で秀太郎氏の次女。現財団化した杉本家(財団法人奈良屋記念杉本家保存会)の事務局長です。
「せつこはん」の料理の番組放映は10月10日(月)11日(火)12日(水)の3日間。午後9時~9時25分。再放送も用意されていますので各チェックしてください。これは相方が気合を入れています。そして③④は杉本家の一般公開の今後のスケジュール。
この秋是非に行ってみたい場所です。
杉本家は四条通の南側を並行して走る綾小路通沿いにありますが一方通行で道が細い上に交通量も結構ありますのでご注意を。
地下鉄四条烏丸駅から徒歩でも便利な位置です(場所はここ)。
番組でもありましたがその地下鉄工事から杉本家の井戸が枯れてしまったとのこと。深い穴を掘れば水脈は切れますね。
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