最近「揚げ物はお腹に(胃に)違和感あるね」とはいいつつ由比に来たらコレだろ・・・と桜エビを看板に出す店に入りました。
同行した人は桜エビの掻き揚げ2枚+ライス②。
私は2枚は少しばかりキツイだろうと1枚+生桜エビ+桜エビ御飯+そばの定食と結構贅沢な昼食となりました。
御飯もおいしゅういただきましたが、お腹が一杯になりすぎてそばだけでも良かったと思いました。
サクっとした食感は最高ですが、やはり「2枚」よりは私の選択の方が良かったと同座した人は語っていました。
由比といえば今川家臣団でのちの田中城、今川時代の徳一色城に一色左衛門尉信茂という人のあとに入った由比(由井美作守 一万八千石・・)や江戸時代の由比正雪の如くその姓は結構耳にしますが、こちら駿河由比氏の発祥についてはよくわかってないようです。
これは例に漏らさず「敗者の歴史の消失」でしょうか。
今川家に属してこの地の在地領主であれば、武田、北条、徳川と蹂躙された地でもありますからね。
東側からの防衛ラインのネックである富士川との近さもありますね。
先日の旧東海道薩埵峠の由比側の道を東に進めばいずれ「桜エビ」の看板が目に付くようになりますが、その通りも蒲原の町を過ぎて富士川を渡る手前辺りに鎌倉期といわれる五輪塔が並んでいる場所が山側にあります(場所はここ)。
ざっと見て、風輪・空輪が他に比べて大きく、アンバランスと感じさせるものであったり水輪が無造作にダブって重ねられているものがあったりと違和感はあるものの、「古そう・・・」であることは確かです。
掲示板を見ればこの地で代々続いている木内家の当主が墓石を整備し建碑したものであることがわかります。下の拡大画像。
たまたまこちらには義経が落ち延びる途中、海が荒れて一時滞留した場所だという伝承があり、それにまつわる浄瑠璃姫の話の繋がりもあるようです。
浄瑠璃姫の伝承は各種あってどれもいかにも創作的ですので各自お調べいただきたく思います。
墓域同所にそちらの石碑も建っています。
尚、「硯水」とは義経が姫に書物を記す際にこの近くの「水」を使用したと聞きました。
上記最後の画像が街道、墓域の向かい側の図。
古くは眼前に駿河湾と遠く伊豆半島が窺がえたことがわかります。
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野村幸一 (金曜日, 26 8月 2016 22:01)
お世話になります。
コメントは今まで自家に関する場所しか入れてないですが、いつも楽しみに拝見させていただいております。自分、歴史は好きですが知らない事が多いので勉強になってます。
由比は嫁の従兄弟がいて時々訪ねることがあります。昔私は富士市や富士宮市に住んでいて通勤や買い物に行くなどで由比は数え切れないほど通過してましたが、立ち止まり散策はした事がありませんでした。広重美術館のすぐ近くにとても古い染物屋さんでしょうか?手拭いやらティッシュ入れを売るお店がありました。店の中は江戸時代か明治か?というほど昔そのままの状態で営業しており古い物が好きな自分はテンションが上がりました!古き良き宿場町の姿が今に残っていて感動しましたね。見慣れた風景の中でも少し立ち止まって見てみると新たな発見があるものだなと再認識しました。
今井一光 (金曜日, 26 8月 2016 22:23)
ありがとうございます。
それらのお店は私どもが立ち寄った桜エビの店の近くですね。
富士宮といえば高天神戦で逃亡した土方地区の農民が定住した場所でいずれ探索したいと思っています。
各、歴史的遺構の残る場所ですね。