かわいそう。手倉森監督の辞任会見が見えてきました。
昨夕ニュースの「遅れて来た相手に赤っ恥 手倉森」との表題にその「メダルとります」発言の悲壮感を思います。
大風呂敷なのか叱咤激励なのか身の程知らずの無知なのかよくわかりませんが、私は巌流島の小次郎さんを思い起こしました。
試合開始7時間前のギリでやってきたナイジェリアチーム。
日本のマスコミからは「前代未聞の不戦勝で勝ち点3ゲット」などという「期待」するかの如く絵空事を示唆する始末。
それによって選手たちの心は動揺したことでしょう。
結局のところ昨日の敗戦でメダルそのものも絵空事になったことは普通のサッカーファンでしたら誰もが感じるところ。
ひょっとしてナイジェリアはすべて計算づく ?
日本戦はちゃっと来てちゃっと片づける練習みたいなものだったのでしょうか。きっと彼らの本番はあとの2戦に照準を合わせていたのでしょう。
他の2チームも同様で日本戦での勝ち点3のゲットは計算上必須条件。日本戦の取りこぼしはあり得ないというのが世界の情勢でしょう。何しろあの試合を見ていて「お話にならない」しか感じられませんでした。
試合内容はボロボロ。ディフェンスはバラバラの現実。よくもまぁバラ色の試合運び、そしてメダル奪取を口にできたものかと・・・
そもそも「PKの笛を吹くの主審の心理」からいって「お返しのPK判定」があることは今の国際サッカーではまず常識ですね。
PKの判定は微妙な主審の判断で為されますが、一旦笛が吹かれたら「絶対」です。
そしてその心理は「ちょっと申し訳なかったかも・・・」の動揺が起こり、「チャラにして重大責任を回避しよう」という心理に発展するものなのです。これは今のサッカーの常識ですね。
ということでPKを得てそれを生かすためには相手にPKを与えないことなのです。
ただし主審は「お返し」を考えていますのでディフェンス陣はペナルティエリア内ではより神経を使わなくてはなりません。相手フォワードも「いつ転んでやろうか、そしてダイビングに見えない転倒をどう演出しようか」と考えているものなのです。
そんな中、お約束通りにエリア内で転倒させるチャージをし、PKを与えて1点をお返ししてしまったことは何とも歯がゆいことでした。「わかっていること」なのですから。
吉川英治の巌流島もそのお約束も戦術としてあることは勿論若い選手たちは知ってのうえだったのでしょうねぇ・・・。
早くから(2週間前)現地に入って念入り調整済、虎視眈々のチームとは思えないほどの大慌てのあたふたサッカーでしたが、少なからずあの様子から残りの2チームから勝ち点などあげられるとは到底思えません。
報道関係者の御口はソフトで視聴者に誤解を与えていますが、あの試合を見ていて決勝リーグへの進出は「絶望」の2文字ですね。本当のことは口にできないのでしょう。
また、相手の終盤の遅延とも思える緩慢な動きも試合運びの中の世界の常識。相手を批することはおかしいですね。
さて、ポケモンゲームについて米国で初の訴訟が提起されたというニュースが入っていましたが日本でも様々なところで物議をかもしています。
また各寺社のスタンスが報じられていましたがこのほど報じられた西本願寺の境内掲示板については驚きました。
東本願寺の方では「注意事項」記すのみの「黙認」という感覚でしたが西本願寺の方は境内に8か所ある「ポケストップ」という場所を掲示板にて「案内」書きまで添付しているとのこと。
当所は「禁止」にしてその旨の掲示板を建てたそうですが、内部から「厳しすぎる」という意見が多く出て、一気に反転、「ようこそ」ではじまる歓迎の案内板に変更したとのこと。
勿論堂内等ゲームの「ながら」立ち入り禁止域や禁忌事項は記してあるそうですが、「やかましいことは言いたくない」という鷹揚な感覚が伝わってきます。
ちなみに拙寺もポケストップになっていて、時折若者や親子連れの姿が塀の外で見ることができます。
まったく無害な連中で、これなら問題なし。目くじら立てて怒ることはないですね。どうぞご自由にです。
①画像は京都某所の掲示板。ゲームを完全排除しています。
②ポケモンといえば任天堂。今の京都を代表する花形企業です。こちらは宇治工場。槙島城縄張りですね(場所はここ)。
③は昨日のニュースでやってた相良湊橋のプレート盗難個所。
先日湊橋の画像をアップしていましたが私はこの個所をトリミングしてカットしていました。テレビ放送を見て驚きました。
あの段階で盗まれていたとは・・・
だいたい金属(銅板)買い取り業者もグルに決まっていますよね。
④は昨晩の墓道氏の週末のお疲れ会の様子。年がら年中お酒を飲んで、美味しいもの喰らっているご様子。
痛風と高血圧の薬を併用しているのにも関わらず、自虐的な画像の送付がありましたので、私も調子に乗ってアップさせていただきました。どっちがどっちの葬式に出ることになるか・・・弔辞は読むのか・・・などは日常会話であり、いつ自転車がひっくり返って残りの人生を棒に振るかなど、人生は「まったくわからない」というのが心情ですが、彼に関してはまず自重して欲しいところですね。
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