宮内庁地の間隙  公園城の治部池と桓武天皇陵

各所に残る宮内庁の管理地。陵・墓その他含めて898とのこと。

各所歩き回って、時々その陵・墓にぶち当たりますが、墓への興味が深い者たちにとってそのガッチリ固めた柵は「目前にしたい」という気持ちを阻みます。

「立入り禁止」の看板を見て「やっばりね」と引き下がるワケですが、案外とこの「宮内庁管理」というもの、つくづくと悪くないことだと思うようになりました。

 

それはそれは明治天皇陵となった木幡山(こはたやま)伏見城の如く、まずは永久的に発掘調査ができないというマイナス材料はありますが、何よりも自然のままのジャングルがそのままの姿で残されていることは大きな後世への価値継承の大義として存在感を表わしています。

いわゆる「伏見城」のうち指月城の如くマンション建設地となってしまった例もありますし、この「ジャングル」地の西側斜面など高級住宅が密集していますので、この宮内庁管理地がもし一部払い下げて競売にでもなれば、あっという間に住宅地に変貌してしまうでしょう。そして大手の不動産デベロッパーの大儲けに繋がります。その手の儲け話はもう聞き飽きていますので僻みなしで、くさくささせられますね。

そういう意味では経済活動を阻害するという意見がありましょうが、その厳正な管理は自然環境の維持・・・緑化・・・に大いに貢献しているのです。

 

さて、「伏見城」を一般の方が見ればあの「キャッスルランド

こそがそれだと思うでしょうがそれは無理もないですね。

映画用の改修を経て、ますます城として素晴らしい外観を主張していますし、遠く名神高速道辺りからもこの天守閣を目にすることができるほどです。京都駅ビルからも見えましたね。

 

私も戦国期のホンモノ天守たちから鉄筋コンクリートの復元天守を見て回っていますがこのキャッスルランドの大天守・小天守のダブル天守は結構カッコよく偽物だと吐き捨てておくには惜しいもがあります。また地名も「桃山町治部少丸」で近くにかつての内堀だったといわれ今も残る「治部池」なる貯水池が残っています。この高台に堀の水脈はいったい何だったのかという疑問が残りますが、訪れる価値は十分にあります。

 

宮内庁管理地の間隙を突いたこの地をいかにして近鉄が買収しえたのかはわかりませんが南東部には木幡山城―伏見桃山陵(明治天皇陵)―の森、北西部には桓武天皇陵域となり殆どその森林地帯の真ん中に鎮座しているという状況です(場所はここ)。

 

ジャングルといえども人とはすれ違います。

この森は地域の人々に親しまれていることがわかりますね。

のんびりウォーキングにジョギングの方たちとすれ違えばまずは挨拶があります。

 

後から2番目の画像が見難いですが、「治部池」。

周囲より10m程度低い場所にあります。やはり柵の中で詳細わかりません。

 

最後の画像は「奥の墓道氏」のカラオケ18番。

森林の中を歩くとどちらでも(こちらは遊歩道ですが・・・)ついその冒頭部分を口ずさんでしまいます。お恥ずかしながら冒頭の所のみです・・・

また、私はカラオケは歌いませんし経典等拝読以外でマイクは待ちません。