蜆塚といえばやはりお墓参り 成瀬正義  宗源院

火吹き竹と竈(かまど)のシーンをテレビで見ました。

火おこしですね。私の高校時代は拙寺庫裏の風呂は五右衛門風呂。しかしその名を記しても私の息子などまったく理解できないでしょうね。

 

簡単に説明すれば鉄釜に直接下から火を点けて中の水を沸かすシステムです。よって構造はいたってシンプル。要はお鍋にかけた水を沸かすのと同じ原理です。

そしてまた、風呂底の鉄部には熱くて乗ることはできませんので、木製の底板というものがあって、通常は風呂に浮いていることになります。

洗い場でお湯を汲む時にそれが当たって思うように桶にお湯を汲めずにイラっときましたね。

 

水道は蛇口が風呂場まできていましたので釜に水を入れて着火します。「湯加減」というものがわかりませんし、釜の残り火でジワジワ熱せられ続けますので、まず沸かしたての風呂に入るには殆ど熱湯の如くの強烈な熱さを体感します。

あの熱さは懐かしくもかなりまたやはりイラついた思い出があります。

そこでガンガン水を足して適温まで下げますが、しばらくすると特に冬場などは冷めすぎて今度は追い炊きをしなくてならなくなります。そんな時はまたイラっとしながら風呂場の窓を開けて、大声を出して人を呼び薪をくべてもらうのです。夏場は湯温低めの行水程度で済ませていましたのでラクでした。

 

火力は今のようにガス湯沸かし器など普及していませんので、御爺さんの鼻をかんだあとのちり紙やら木っ端を使います。着火しやすい材はやはり松葉に松ぼっくりでした。油分と乾燥具合でメラメラ気持ちよく燃えましたのでそれらは外掃除がてらに集めておきました。

 

何度も火付け係をやりましたが、なんでもかんでも突っ込んで燃やしてしまいましたので今でいう回収してもらう「燃えるゴミ」などは無かったように思います。

風呂の薪置場はごみ溜めの如く燃やすものが積み上げられていましたので何度か風呂の火がそれに燃え移って火柱があがり大慌てで消したことがありました。

昔は火事になる要素がいたるところにあってこの風呂焚きもその一つでした。

 

そのテレビ(大河ドラマ)でお決まりの火吹き竹での火おこしのシーンが・・・。いつも気になって見ていますが、首を傾げます。

手で筒を作っていたのか吹き口に口をつけすぎですね。

アレでは先端から空気は出ず、火をおこすことは難しいでしょう。

まぁ雰囲気だけでイイという場面ではありますが、まともな吹き方とは微妙に竹の吹き口と口とを離さないとダメですね。

コレは先達にそのようにしろと聞かされたものでした。

実際に筒を作って火おこしをしてみて初めてわかることです。

 

さて、7月のお盆時期の法務の間に、三方ケ原で亡くなった成瀬藤蔵正義の墓前に参って少々成瀬谷(今は高級住宅地)を彷徨。

既出の通り彼は拙寺三代目祐傳の父親で禄(釋尼妙意)の夫です。禄さんは夫の菩提を弔うために末の息子を連れて拙寺に入りました。

 

作り話とは思いますが講談の「湯水の行水」の成瀬と鳥居の喧嘩と冷水浴びのヤセ我慢大会、そしてウィキにあるが如く同僚を斬って出奔して要領よく元の鞘におさまるところなど、当家代々の系統に出現しがちな今でいう「アスペルガー」的雰囲気を醸し出していてとても親しみ深い先達の一人です。

 

ブログには記していたと思いますが16代目の予定になる息子は横浜の小学校低学年時代に担任教師が匙を投げて専門医に紹介状を書くまでに至りました。半信半疑で学校を休ませて通院させれば「問題なし」でした。そのあたりから教師の実力というものに疑問を感じるようになりましたね。

 

「手に負えないから医者に行け」では教育放棄としかいいようがないですね。現状教師の繁忙もお気の毒ではありますが・・・

まぁ私の頃はそういう病的な判定基準はありませんでしたのでただの「落ち着きのないアホなガキ」ということでぶん殴られて終わっていたのですが。

先生もやたらと「手を挙げて」の「指導」ができなくなったこともありましょうか。まぁ普通に考えて教師から見れば「厄介者」だったでしょう。

父親などそれでいて教師をしていたのですから・・・

 

旦那が「アスペルガー」だと奥さんが大変なんですね。

やはり精神的に追い込まれることになってそれを「カサンドラ症候群」というそうです。

ということはやはり拙寺代々の奥方は(婿取りも多いのですが)その手のことで頭を悩ませてきたのかも知れません。

ちなみに「カサンドラ」とはギリシャ神話に出て来る王女様が出典です。

 

今、当家での誰も見ていない夫婦漫才の出だしは「アスペルガーで~す」「カサンドラで~す」「二人合わせて夫婦で~す」。

最後の「夫婦で~す」は新喜劇を観ている人ならわかるところ。

まぁ少々暑さで「やられている」ところがおわかりになったのではないかと思います。

ただしここ数日は猛暑とはいえませんがクマゼミの大合唱に頭が朦朧としてくる日々です。

 

成瀬正義の五輪塔は宗源寺(場所はここ)にありますが、寺の門前に廻り込めば新しめの看板が立っていました。先般蜆塚遺跡について記しましたがその近くになります。

藤蔵正義の脇にある一石五輪塔とその残欠が可愛すぎる。戦役直後はこういった墓石が家族の手で置かれていたのでしょう。