聖衆来迎寺の額   釈迦と阿弥陀の立場復習

拙寺盂蘭盆法要のあの土砂降り以来、当地に雨は降りません。

「何だったのでしょう、あの雨は・・・」という感じ、今も境内でお会いする皆さんと語り草になっています。

 

お盆といえば私は「無常偈」。

善導さんの「日没無常偈」は年一回盂蘭盆会法要の日の夕方の部、今年でいえば7月9日午後7時からの法要にてサラッと詠っちゃいましたので今年はおしまいです。

 

とてもイイ歌詞でしてそれを、たった1回だけの披露とは勿体ないのですが、昼間の各家の初盆法要では「日中無常偈」を披露していますので仕方ないのです。

そもそも「六時礼讃」として時間を区切って拝読されるものですからある程度はその時間に近づけたいという意思も働きますので。

 

これらは大谷派の法要形式にさほど強く表だって登場してこないものですが、前述のように歌詞がよくて、「なるほどな」と思わせるところ、また少々風変り(一般的お経の概念から)、そしてちょっとだけ厳かで「色がある」ということから私は好んで拝読させていただいております。

 

それらはブログでも何度か記しています。

無常偈ブログ二題、日没無常偈日中無常偈

 

「日没無常偈」の中で特に私の日々の生活を俯瞰してみるに重ねて思うことは「忙忙六道無定趣」の句が厳しいご指摘で好み。

『「心を亡くす」×2』と「グルグル六道を歩むわたし」ということでしょうね。

時としてお話の中で突発時に「忙忙」という個所を抜き出して「忙忙(もうもう)として・・・」などと言い放ちますが、果たしてどれだけの人がそれを「ふむふむ」などと聞いてくださっているのか不明です。

まぁそれももう一つの主たる意、「濛々として」に近い意識不明状態とも言えなくもないと思いますので、「まぁいいか・・・」という感じではいます。

「心を亡くす」ですから同じことかも知れません。

 

ちょうど盂蘭盆といえば釈迦の弟子の目連の母親が堕ちた餓鬼道からの脱出スペクタクル。

これは儒教色豊かに演出された偽経「盂蘭盆経」が出典です。

また「六道」のイメージは「地獄」ですね。

 

私はこの「六道」と「地獄」を思うに近江は琵琶湖の西、比叡山の麓のお寺、聖衆来迎寺を思い出します。

「しょうじゅうらいこうじ」のある地はまさに「比叡辻」ですからまさに天台の総本山の御膝元となります。

場所はこちらですが、このあたりは他に色々ブログでも記していますのでこちらこちらもどうぞ。

 

親鸞さんの正信偈にて選出七高僧のうちNO.6、源信(恵心僧都)さんの縁のあるお寺で特に「六道図」で有名なお寺だからです。

ちなみに拙寺宝物の恵心僧都筆阿弥陀如来像の御軸は拙寺の天正期に来た木仏阿弥陀如来像以前のご本尊であると伝わっています。私がかなり若いころ、東京12チャンネルのお宝鑑定団に持ち込んだことがありました。

それは相良でも知る人ぞ知る懐かしいお話しです。

 

京都の鑑定士による添え書きまであって、「なんだご先祖も昔から鑑定好き?」と思わせるところがありました。

結果は「源信作ではないだろうが古いものであることは明らかなので・・・」ということで300万円の値がつきました。

 

源信さん確定でしたらそんな額では収まらないことはわかっていましたのでかなりがっかりしたという経緯です。

まぁ西暦で942年~1017年の人が記したものの真贋が判定できるかは疑問でしたが・・・。

画像はだいたくじ画像集にあります。

 

源信さんの話はともかくとして「聖衆来迎寺」には釈迦と阿弥陀の関係がハッキリわかる額が掛けられていますので紹介いたします。

釈迦仏と阿弥陀仏の区別ができないという方もいらっしゃいますので・・・(参考 私の頭はザル)

それでは画像④の額。

 

「阿弥陀仏に  釈迦はつたへを うけつきて

浄土の御のり  ときたもふなり 

 

釈迦仏は  南無阿弥陀仏の

功徳をば 世にとかんとて  出てたまひけり

 

念仏の  功徳は 釈迦も いちたいに 

とけともつきぬ のりの尊さ」

 

・・・・そして大谷派大阪教区の解説文をどうぞ。