今や海と繋がってしまって塩水が入り込んでいる浜名湖は遠州の淡海(あわうみ)、遠淡海=「遠江」という国名の大元。
琵琶湖の近江国に比して付けられた名ですね。
その浜名湖の東側に遠州人にとってはよく耳にする佐鳴湖があります。勿論浜名湖+の湖でやはり塩味は少々するようです。
私は浜名湖の奥浜名湖あたりではかつて水遊びをしていましたので「その味」はわかりますが、この佐鳴湖を味わったことはありません。
なぜならば遠州人なら知る人ぞ知る、水質の悪さでは名を馳せる「汚い水」で有名な湖です。
一時は日本で1番の汚名を頂戴したこともある湖ですね。
これは生活排水と栄養素満点濃度の地下水の流入、そして真正の地下水の他所利用による枯渇ですね。同様の事案は相良あたりでも聞く話ですが、特にこの辺りと三方ケ原台地の人口増加と開墾による畑地への農薬肥料の垂れ流しが顕著だからではないでしょうか。
今や佐鳴湖周辺ときたら住宅密集地となっていますが、昭和時代戦後すぎまでは漁業就労者の家屋が点在していたといいます。
かつては佐鳴湖は水量が豊富だったせいか今より大きく東側の丘の麓辺りまでせり出していたと聞きます。
その東側の丘にある遺跡が蜆塚遺跡(場所はここ)。時代的には縄文時代今から3000年~4000年前といいます。
このあたりの地名も「蜆塚」といいますが、この遺跡の圧巻は貝塚1000年分の層の断面をこの目で見ることができるところです。
斜面を掘削して屋根で覆いガラスでその断層を囲むという試行ですが、見やすくてそのスケールの大きさがわかります。
この地層に至る階段の脇の地面にもすでに貝殻がゴロゴロ。
それにしても蜆の漁獲量もさることながら1000年の間この場所を貝殻等の捨て場所として継承していた?というのが凄いことだと思います。
特筆すべき点は住居群の脇に彼らの墓地があったということです。住居部落内ということで、生活の中に墓地を作っている様子で死者との接点の近さを感じます。
隣接する浜松市博物館(300円)もおすすめです。
①②4000年前の人骨。②は貝で作ったブレスレット。70歳くらいの男性で身長150㎝だそうです。
何故にして4000年前に埋められた人骨が骨太の様子がわかるほどに遺っているかといえば・・・ここが貝塚でもあったからです。ただそれのみですね。
以前震災のあった東北の海岸地層から戦国期?の人骨が出たというニュースがあったかと思いますが、付近に貝殻層があったり石灰層の地層に埋められた骨は比較的キレイに残ることが知られています。
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